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2023年12月11日 (月)

細雪

7_2023121119280111日、今日は現在家財処分進めている実家について少し語ります。私が生まれた実家は昭和14年に祖父が建築。現在の家の隣に母屋があったものの阪神大震災で被災し惜しくも取り壊して今は庭に。母屋の隣には道の真ん中に生える大きな松があり昔から「一本松」として有名であった。この一本松がかの谷崎潤一郎の小説「細雪」に登場しており我が家らしき家が描写されている。四女妙子の恋人奥畑の家として書かれている文は「~西宮の一本松の傍に家があると云われたのが意外だったので、或る日、あのマンボウを通り抜けて、一本松の所まで行って見たら、成る程ほんたうにお宅があった。前が低い生垣になっている、赤瓦に白壁の文化住宅式の小さな二階家で、ただ「奥畑」とだけ記した表札が上がっていたが、表札の木が新しかったのを見ると極く最近に移って来られたのであらう」とある。谷崎は細雪執筆前から実家の向かいの家に知人が住んでいたので良く通ってきていたらしい。ただウチの実家をそのまま描かずご近所の家の特徴を混ぜた様で低い生垣や赤瓦はご近所の家の様子だったらしいが一本松の傍の白壁の文化住宅式の小さな二階家は正にウチの実家そのままである。決定的なのは谷崎が通っていた当時新築の家はウチだけだったので表札が新しいというのもウチを描いた証拠と言える。

10_20231211195701谷崎はさらに「二階の窓がすっかり開け放しであって、白いレースのカーテンの中に明るい電燈が燈っており、蓄音器が鳴ってゐたので、暫く立ち止まって様子を窺ふと、たしかにあのお方ともう一人、ー女の方らしい人の聲がしたけれども、レコードの音に妨げられてはっきりとは聞き取れなかった。(と、さう言ってお春は、さうさう、そのレコードはあれでございます、ほら、あの、ダニエル・ダリュウが「暁に帰る」の中で謡ひました、あの唄でございます、と云ったりした)で、自分がその家を見に行ったのはその時だけである。」と書いている。細雪執筆時一本松傍の二階建ての家の部屋で蓄音器を掛けていたのはどうも私の親父だった様である。10代の学生だった親父はその頃道路に面した二階の角部屋に暮らしており良く蓄音器を掛けていたとの事。多分谷崎は偶然一本松を通り掛かった際の風景を小説に取り入れたのであろう。親父がその頃愛用していた国産卓上蓄音器は現在私が「谷崎が聴いたかもしれない蓄音器」として大切に所有している。数年前に某国営放送の終戦記念日特集ドラマの冒頭でも使われたので多くの方がご覧になっていたかもしれない。ただ谷崎が小説で描写したダニエル・ダリューの歌は当時流行した盤であるが残念ながらウチには無かったのでこの部分も谷崎の創作だった様である。細雪にも登場した我が実家とも間も無くお別れとなるのでその縁を語らせて頂いた次第。

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