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2020年1月17日 (金)

25年目の1・17に思う

Photo_20200117051301 17日、1995年の阪神淡路大震災からもう四半世紀。今や大震災といえば2011年の東日本大震災を思い出す方が大半ですが現代的な大都市を直撃し一瞬にして壊滅状態にしてしまったあの地震はやはり永遠に語り継がなくてはならないと思っております。私も家屋の倒壊や火事が酷かった東灘区に自宅や工房があり(長田地区程の大規模火災では無かったですが)自宅マンションは倒壊免れたものの楽器工房で借りていた一軒家は全壊し鳥の羽フレンチが瓦礫の中に埋もれてしまうという大惨事でありました。幸いチェンバロは常時カバーやふとんで保護していたお陰で瓦礫の中から掘り起こして救出する事が出来現在も舞台で活躍しております(よく見るとボディにはその際の傷が多数あります)。完全に2階が落下し押し潰された部屋にあるはずのポジティフオルガンも偶然持ち出しており無傷、個人宅に預けていた1段チェンバロも揺れですっ飛んだ際に脚が折れただけで無事と個人的には幸運が続いた次第。しかし大学や教会の大型パイプオルガンが何台も倒壊しており楽器の被害も甚大な災害でありました。オルガンへの地震対策の程度の差が倒壊の分岐点だった様子、鳴りを多少犠牲にしてでも倒壊防止対策は取るべきでは?という議論が始まるきっかけになったと思います。また震災後の復興と音楽がどう関わっていくかという事もこの震災で大きな問題になったのではと思います。地震の為の住民や産業への莫大な被害はもうご存じの通りですが、少し落ち着いて来た後音楽を通じて復興支援をという動きが始まった際、被災した住民や演奏家への支援の為の活動への協力を求められた演奏家が日頃から経済的に苦しい生活を続ける中で無償の活動を多数せざるを得ない状況となり被災していないながらも共倒れになりそうな状況に陥ってしまったという事例はその後の支援活動のスタイルを考える上で知っておくべきだと思います。阪神淡路大震災から25年、東日本大震災からも早10年近く経つ中音楽による復興支援の有り方を再度考えるべきではと思っております。

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