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30日、今年上半期も海外からチェンバロ界の強者達が続々来日の予定であります。
まず2月にはライプチヒのバッハコンクールとブルージュのコンクール両方を制覇し若くして古楽の中心地バーゼルの教授に抜擢されたという伊国の若手実力派が来日。武蔵野公演 (スカルラッティがメインだとか)は完売ながら他の公演など もあるとの事。
続いて同じ2月には欧米チェンバロ界の重鎮の3年振りの来日ツァーが(兵庫公演は即完売したそうですが)。巨匠レオンハルトの次世代の奏者達の中で先頭を行く貫禄の演奏が楽しみであります。今回はバッハの名曲と共にフランス物も聴かせてくれるとの事。
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3月には欧州で大活躍の「スイスのNaoki」が久々の来日(帰国かな?)。今回はモダンオケを振る金沢公演(共演陣も豪華!Cemコンチェルトも こちら にも情報有り) Vnとのデュオの名古屋公演 東京公演など全国各地で演奏予定。
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4月には「まだ来日していなかったチェンバロ界最後の大物」が遂に日本に登場。愛弟子とのバッハ作品のCemデュオの武蔵野公演(毎度ながらすぐ完売するので御用心!) ゴールドベルグ変奏曲リサイタルの横浜公演 名古屋公演 長野公演を予定。山梨の古楽コンクール(今回は鍵盤楽器とアンサンブル部門)の審査員も務める予定。
1月17日。阪神淡路大震災から今日で23年経ちますが今だにあの早朝の出来事は鮮明に思い出されます。今だに住み続けている神戸の街も震災の傷跡が殆ど見えないようになってきていますが地震前の姿と余りに違う姿への変貌振りには正直複雑な心境で眺めるしかない思いです。地震によって失われた物は尊い多くの命の他にも余りにも多いのではないでしょうか。果たして街は復興しているのか?もしかすると傷ついたまま外観だけ取り繕っているだけではないのだろうか?改めて震災について色々思い巡らす日となりそうです。犠牲者の皆様のご冥福を改めてお祈りいたします。
写真は地震直後の当時のスタジオの様子、縁側と最初の部屋は剥き出しになってしまいチェンバロを置いていた奥の部屋が丸見えに・・・。しかし瓦礫の隙間に埋もれていたチェンバロ(Yoshidaフレンチ)は奇跡的に救出出来たのでした。梯子を伝ってチェンバロ持ちだしたはずなのですが今となってはどうやって運んだのか全く記憶無し。
15日、季節跨ぎで少々御機嫌斜めという個人宅のスピネットの調整に出動。堅牢なT社製とは言えこの冬の激しい湿度温度変化には付いていけずヘソを曲げた様子ながら簡単に元に戻りひと安心。
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今日からの室内オケのリハにポジティフオルガンで出動。昨日に続き運送で冷え切った楽器を暖める為通常よりも3時間も早めに搬入させて頂き時間を掛けて自然解凍(暖めるだけで1/4音もピッチが上昇!)。今回の公演はチェンバロ界最長老のマエストロ指揮によるBachプログラム。リハの合間にマエストロに日本古楽史の聞き取り調査を敢行、またもや貴重なお話を多数拝聴し収穫多し。
リハ会場の近くは昔は東の浅草と並ぶ国内有数の歓楽街(と色街)だったので今でも美味しい老舗食堂多数有り。今日は超庶民的な洋食屋でビフカツを注文。相当年季の入った(汚いだけ?)店舗ながら昔ながらの王道の味に惹かれて男女関係無く常連で賑わう繁盛店でありました。
13日、予定されていたリハがキャンセルとなったので(合唱団が多過ぎてチェンバロが会場に入らないとの事)それではと急遽「音楽の殿様」の展示会を見に紀州を訪問。図書館に出来たという特別閲覧室で資料を拝見していると旧知の歌手の方と遭遇し仰天。また殿様の研究をなさっている方にもお会い出来貴重な情報をご教授頂き収穫多し。しかしざっと資料を拝見するも殿様が日本で最初に欧州からチェンバロを運ばせたという証拠を発掘する事が出来ず残念。
次は博物館に移動し開催中の殿様のコレクション展を拝見。パーセルなどを中心とする多種多様な楽譜コレクション陣は中々見応え有り!紀州では近年余り語られる事が無かった二十世紀の「音楽の殿様」に再度注目が集まっているようで今後が楽しみであります。最後に郊外の山間部にある紀州の歴代の殿様の菩提寺を訪問。このお寺のHP に音楽の殿様の事が詳しく掲載されているので必見であります。
こちらの寺は同じ徳川家由縁の建物とは言え豪華絢爛な東照宮とは違い森林の中で静寂に囲まれ実に渋い!(人影は全く無かったですね)。歴代の殿様の中でも古楽器コレクターだった十代と音楽の殿様十六代の墓を参る事が出来満足。
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折角紀州に来たのでと郊外の漁港近くの魚屋直営食堂で海鮮丼と豪勢な鯛(天然?)の煮魚の定食でランチ。流石魚屋がやっているだけにそのネタの新鮮さと値段の安さにビックリでありました。これは今後日本古楽史研究のため頻繁に紀州詣でをする事になりそう・・・。
10日、チェンバロの御機嫌伺いで走り回る1日。まずは本番控えた米国の名工作のフレンチの御機嫌伺いから。スタジオには同じメーカーの同じモデルの兄弟楽器が並んでおり本番に向けて候補2種の調律法をそれぞれに施し交互に弾き比べて相性をチェック(ナント贅沢な!)。この2台は4月に初来日する独逸の重鎮Cem奏者のリサイタル(愛弟子との2台Cemデュオ)に登場の予定。
次は仏蘭西で途中まで製作し日本で仕上げたイタリアンの御機嫌伺い。最近運び込まれたばかりという事で初めて越冬する部屋の環境を心配するも万全の暖房と加湿体制のお陰で楽器のご機嫌良好のようでひと安心。
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最後は独逸の名工作のフル装備の1段チェンバロとショパン時代の仏蘭西製小型ピアノの2台の御機嫌伺い。鉄骨無い時代のピアノは乾燥の影響受け易いのか大幅なピッチ上げとなり結構手古摺る羽目に。今日は米独仏日と楽器による世界御国巡りでありました。
8日、最近一部の音楽マニアの間で「音楽の殿様」と呼ばれている御三家紀州の殿様の話題で盛り上がっているようですね。御膝元紀州の図書館で殿様のコレクションの展示が始まったばかり。我国の洋楽事始めの時代に収集したという桁外れの音楽コレクションを拝見出来る絶好の機会であります。また世界的な著名演奏家との驚きの親交の逸話も是非伝記で読んで頂くとさらにこの殿様の驚愕の生涯を知る事が出来るはず(伝記よりも自身の随想録の方が凄いのですが)。しかし実はこの殿様が日本で最初に海外からチェンバロを持ち込んだという事は全く知られていないですね。昭和6年にオーストリアのグループをチェンバロと共に日本に呼んだそうでその時の調律師の証言が残っております。まだ日本ではランドフスカのレコードがやっと知られてきた位の時代にいきなり本物のチェンバロを欧州から日本に運ばせたとは恐れ入った次第。もうひとつこの紀州の殿様の家系には江戸時代から膨大な古楽器コレクションが受け継がれていたという事も伝わっております。約200年前に膨大な楽器を収集し、また絶滅した古楽器の復元をも試みた実に趣味人な殿様がいたというのも驚きでありますが、大正時代にこの殿様が日本初のパイプオルガンを備えたコンサートホールを建てたというのもご先祖様の音楽好きな血筋があったからこそなのでしょうね。日本古楽史の重要なキーパーソンであるこの殿様にもっと注目が集まって欲しいものであります。
6日、池袋のお馴染みの(だった?)洋館でのコンサートが復活!3年振りに講堂でフォルテピアノの音色が聴けました。重要文化財の工事なので丁寧に元通りにしたはずながら漆喰壁や床材が新しくなった分以前より僅か乍らもサウンドに迫力が出てきたような気が。古楽系には理想的な会場が復活した事に祝杯を!
今回は1820年のウィーン式フォルテピアノによるショパンリサイタルという事でお客様皆どんな音色でショパンが聴けるのかと興味津々、会場の素晴らしい音響も相まって繊細ながら色彩感溢れるウィーン式フォルテピアノ独特の音色を堪能された様子。フォルテピアノによるショパン演奏に関心が高まる中、今年9月にワルシャワで開催される第1回ショパン国際ピリオド楽器コンクール も楽しみであります。
3日、新年の仕事始めは西のスタジオから。登板間近の白フレンチの御機嫌伺いを始めるも多数の楽器陣を保管するスタジオでの最重要事項である温度湿度の再確認が一番の仕事でありました。乾燥厳しいこの時期に部屋の湿度を40%以上に保つのがチェンバロの御機嫌を保つ最大の秘訣ですぞ!
西のスタジオで秘蔵しているのは1960年製のクラヴィコード。現存する国産最古の楽器だと思われる貴重な物ですがこの楽器の製作家の事が実は殆ど不明なのです(この楽器は2号機だったとか)。クラヴィコードに関しては昭和16年に早くも楽器製作に取り組んだ先駆者がいるようなのでこの楽器の作者は我国で2番目かと思われるのですが、実はチェンバロも相当早くに作ったのではという話もあり日本最初のチェンバロ製作家だった可能性も・・・。今年はこの日本古楽史における大きな謎を是非解明したいものであります。
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