昭和九年のハアプシコード紹介
15日、昨日に続き昭和初期の洋琴界の資料のご紹介。昭和九年(私が我国の第一次古楽ブームと呼ぶ時代ですね)の月間音楽誌に掲載されたという当時日本でもランドフスカ女史と並ぶ人気チェンバロ奏者だったM・シャンピオン女史の「現代のハアプシコード」という投稿記事。まずは古代のハープシコードの紹介から始まり、「一列、二列乃至は三列の鍵盤」「鍵盤は短く狭い」「八呎絃二組と四呎絃一組、例外として十六呎絃一組」とありこの16fについては「各国の博物館で研究したがかういう装置のものは唯一のものであると発見した」と説明。これはもしかするとBachチェンバロの事を指すのでは・・・と推測する次第。次に「四角の木製の巻きねぢ」を使用と説明しているもこれは日本の訳者の誤りでは?。また「現代のピッチより一音低い十八世紀のピッチ」としてバロックピッチへの言及あり(これはしかし半音では無く全音低いと言う事か)。全般的に古代のチェンバロの構造は損傷しやすく音色の変化は乏しく現代のピッチに上げる事は不可能とかなり否定的な説明に終始しております。比べて現代のチェンバロは鍵盤や弦などはピアノに近い構造、ペダルで演奏中の音色変化も自在、音量もあり音色も明瞭、現代のピッチも可能・・・など長所を並べ最後に現代のピアノのタッチであるとまで言っております。まだ生のチェンバロを見る機会は殆んど皆無(僅か一回のコンサートがあった程度か)レコードや文献でしかその存在に触れていない昭和九年の極東の日本人に、何故自分達は古代チェンバロを使わず現代チェンバロを使うかと言う事を丹念に説明し、またそのような内容の記事を一般音楽誌に掲載したという事は大変興味深いものです。推測するに当時のチェンバロ奏者は「ピアノでは無く作曲された当時の楽器・チェンバロで演奏するという優位性」と「現存するオリジナル楽器ではなく改造された現代チェンバロで演奏する事」の間での葛藤があったのかもと思ってしまいます。実は当時の欧米ではドルメッチ一派のオリジナル楽器原理主義とランドフスカ一派のモダン楽器推進派との抗争(?)があったのではとも推測しているのですが・・・。
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