日本最初のチェンバロ調律師
16日、先日の昭和初期の洋琴資料の発掘調査の中で一番驚いたのが昭和六~七年にチェンバロのコンサート調律を担当した調律師の報告書でした。昭和二年に早くもチェンバロ(?)を使ったラヂオ放送があったという記録もあるのですが(現在まだ実証出来ず調査中)、記録に残る確実な我国でのチェンバロ初演奏は昭和六年末から七年三月に掛けての維納から来日の三重奏団によってだと思われます。このグループが遠路はるばる持ち込んだNeupertの二段鍵盤(三本ペダル)のチェンバロを、コンサート調律を担当した調律師(多分日本人で初めてチェンバロを調律した方となるのでは?)が構造や特徴を細かく解説しております。この方はこの初体験の楽器がピアノのようにタッチによって音量変化がつかないと言う事に大変驚かれたようで、ペダルによる音量調整の方法に注目していた様子。ピアノしか知らないこの時代の方に音量変化無しでの音楽表現は考えられなかったのかもしれないですね。最後にこの表現力が乏しい(と感じている様子が伝わるのですが)楽器について、「古典曲をこれに依って奏すればこの時代の色彩を出し得ることがこの楽器の特長であらうが果たしてそれは現代のピアノに慣れたる人々の耳に如何に響くかは別の問題でなければならぬ。只吾人は今更に吾人が現代に於て保有する慮のピアノの発明の如何に重且つ大なりしてとを痛感するのである」と語っております。ここでも昨日の件と同様、チェンバロという古楽器の存在を尊重しつつも現実的な音楽的表現力への不満感が垣間見れる興味深い内容でありました。当時レコードでは一部の愛好家に熱狂的(?)に受け入れられていたチェンバロ等の古楽器演奏も、生の演奏(戦前にも少なからずあった様子)に対して意外に冷たかったのはこのような反応があったのかもしれません。世の中がキナ臭い時代になりつつある昭和一六~七年(もうコンサートが激減していたはず)、シュナイダー女史が各地でチェンバロコンサート(他にもパイプオルガンやクラヴィコードなども演奏したそうな)を開催しているはずなのですが文献資料に殆んど残っていないのが不思議ではありましたがこんな理由があったのかもしれません。
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