本邦チェンバロ界の謎
2日、日本のチェンバロ演奏の開祖たるエタ・ハーリッヒ=シュナイダー女史、ナチスとの反目からくる圧力から逃れる為昭和十六年独逸から楽器を携え来日、第二次世界大戦の間も日本に滞在し演奏活動を続けた我国チェンバロ界の恩人でもあります。しかしナチに追われた女史が戦時中もナチス政権の出先機関たる独逸大使館の支援の元で日本各地で演奏活動を続けられた事(東京の他は関西や仙台、静岡、新潟など・・・、西洋音楽排他の風潮の中なのでかなり特異な存在だったのでは)、あのゾルゲ事件に関わっていたにも関わらず(殆んどの資料に触れられていないのは最近までその事実は知られていなかったのか・・・)終戦まで独逸大使館との関係は良好だった事(独逸敗戦の際は彼女の家に大使館関係者が集まり彼女の演奏を聞いたとの証言もあり)、終戦後は一転連合国側の関係者と親しい関係を持ったかもしれない事(これはまだ資料には全く出ていない情報らしいのですが・・・)など、多数の謎を持つ数奇な生涯を送った方でもあります。最近入手した大戦前後の日本の独逸大使館の研究書を読んでもこれだけ深く日独間の激動期に関わった女史の事が全く記述されていないのはナントモ不思議であります。後世の本邦音楽界の回想録にも女史の事は殆んど出てこないのも同様に謎ですし・・・。あれほどバッハに傾倒し古楽器演奏に理解を示していた当時の音楽界の重鎮あらえびす氏も女史の生演奏を聴いたという記述が無いのもこれまた不自然ですし(女史の事を触れにくい何か圧力があったのかも・・・)。今年こそは我国チェンバロ界の大きな謎を解明したいと思っております。皆さまの御協力何とぞよろしくお願いいたします。
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