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2012年7月

2012年7月31日 (火)

日本最初の古楽器コレクター

431日、ツァー中休みのフォルテピアノの御機嫌伺い(猛暑の中の旅で御老体結構お疲れの様子)の後、先日の美術館コンサートの際に開催を知った千葉の古楽器展へ。豪華な装飾の琵琶や琴、笛など素晴らしい日本の古楽器が多数展示、中には平安時代というの物もあり千年前の楽器が現存しているとは日本人としては誇らしい限り。今回展示の古楽器は紀州藩十代藩主徳川治宝(1771-1852)が莫大な費用と労力を掛けて収集したコレクションだったとか。我が国には昔から正倉院という公的なコレクションはあるものの、この殿様こそ日本で最初の古楽器コレクターというべき存在では。後の紀州藩十五代の殿様がパイプオルガンやチェンバロをいち早く日本に紹介した我国西洋古楽の恩人たる徳川頼貞(1892-1954)というのも不思議な縁ですね。ただこの昭和の殿様は西洋音楽にうつつを抜かし過ぎて(?)巨万の財産を食い潰してしまい、御先祖様から伝わった貴重な古楽器コレクションも昭和二十八年に売却してしまったそうな・・・。そのコレクションが回りまわって現在この博物館に収まったとの事。実はこの昭和の殿様、まだ先代が健在でただの「放蕩息子」だった頃、先代がかの南葵文庫を設立した際に「日本初のコンサートホールを建設したい」「そのホールに本格的なパイプオルガンを設置したい」という当時としては天文学的に金の掛かる事を息子の分際で言いだしながら、音楽にあまり興味の無い先代がスンナリ放蕩息子の夢物語に同意したのも、御先祖様に日本一の古楽器収集家がいたからでしょうね。長年の謎が解けました。展示されている古楽器の中には昔活躍しながら消滅してしまった「幻の古楽器」を江戸時代に資料から復活させた「復元楽器」もあり興味深々(何やら見た目がモダンチェンバロに通じる質感でしたが) 西洋での古楽復興運動に先んじる事約百年、我国で古楽器復興があったとは驚きでした。

2012年7月30日 (月)

シューベルトからバッハへ

Photo30日、東西を駆け巡ったフォルテピアノツァーは中休み(次回は8月2日の名古屋公演、日本一贅沢な個人ホールでのオリジナルフォルテピアノの音色楽しみです)、シューベルト漬けの日々から一転今日はバッハのヨハネ公演の練習のお手伝い。どちらも感動的な名作品ながら18世紀と19世紀の「音による感動の質の違い」を再確認した次第。フォルテピアノとパイプオルガンの音色の違いも両極端で面白い・・・、そう言えばこの2台の共演はまだ未体験ですね。何か曲はあるのかしら?

2012年7月29日 (日)

「ます」in美術館

P_229日、今日は東西で3つの現場に影武者を使って出動。どこも猛暑の中での楽器移動で苦労した様子。私が担当の「ます」ツァー2日目は都内の美術館での公演。空調設備が完璧なのか会場の湿度が40%近くとカラカラ気味、連日猛暑の中で移動の楽器陣も極端な湿度変化に御機嫌斜めの様子(ヴィオラの弦がケースの中で切れてましたね)。190歳の老ピアノにとっても結構辛いようで連日調律するよりもメカニックの調整に手間取る始末。やはりコピー楽器のようにはいかないですね・・・。

2012年7月28日 (土)

「ます」ツァー初日

Pt_1028日、シューベルト「ます」ツァー初日の大阪公演は猛暑の中予想以上のお客様にお越し頂き無事終了。実は私も生で初体験というオリジナル楽器による「ます」、やはりシューベルトはこういう音を想定して作曲してたのかと改めて納得した次第(モダンピアノだとどうもしっくり来なかっったので・・・)。終演後は今日掛け持ちの第2現場でチェンバロ運送。夜は各地での花火大会鑑賞しながら再び東へ大移動。

2012年7月27日 (金)

兄弟チェンバロ

3327日、同じ製作家の同じモデルで5歳違いの兄弟チェンバロ2台の面倒を見た1日。兄弟とは言え手作りだけにタッチや音色など個性の違いは歴然(良く見れば内部も結構違う様子)、チェンバロにとっては生まれも大切ながら育ちも重要な条件ですね。少し御機嫌斜めの弟の調整の後、兄のコンサートへの出動の仕込み作業。猛暑の中で独逸製のタフさに改めて感心した次第。

2012年7月26日 (木)

オリジナル楽器によるシューベルト「ます」が400円で聴ける!

826日、まもなくスタートのオリジナル楽器によるシューベルト「ます」ツァー、初日7月28日の大阪公演はなんと料金が400円!(会場の入館料のみ)。オランダでの古楽コンクールの優勝グループ(メンバーの経歴もブルージュでソロ部門優勝など凄いのですが・・・)が大阪のミュージアムロビーコンサートに登場。シューベルトファンやフォルテピアノマニア(今回は1820年のオリジナルピアノが登場)、そして古楽好きには絶対お勧めの超お得な公演です。お聴き逃しなく!

2012年7月25日 (水)

昭和26年の記念式典

Or_1125日、先日偶然レコード店で発掘した昭和26年にあった某学校の記念式典のSP盤、今日学校関係者の方に見て頂くとその存在は御存じ無かった様子。資料を見ると当時のVIPが参列した豪華な式典だったようで(来賓の中に吉田茂首相の名前も)、賑やかな式典の中で生徒やOBによるハイドンの「天地創造」の演奏もあった様子。果たしてこの記念盤の中にはかの吉田茂首相の演説があるのか、もしかすると斉藤秀雄指揮のハイドンの演奏があるのか(この学校で長年音楽を指導されていたとの事なので可能性高いのですが写真では確定出来ず・・・)、実は皆さんと感動を分かち合おうと今だ私も内容を聴いておらず興味津々。近々この貴重な盤のお披露目が出来るかも・・・。午後は楽器2台積込み500kmの長距離ドライブ。関西の蒸し暑さには参った!

2012年7月24日 (火)

シューベルト「ます」ツァーまもなく

324日、今日はスタジオで出番間近のチェンバロ・オルガン・フォルテピアノの御機嫌伺い。一週間前に調律したまま放置していたチェンバロは全く狂い無くすぐに舞台で使える状態、夏の温度湿度対策が万全なようで一安心。まもなく始まるオリジナル楽器によるシューベルト「ます」ツァーに参加の6オクターブオリジナルのフォルテピアノも仕上げ調整の後最後の演奏チェック。聞けば東西4公演どこも大入りとの事で、8月2日名古屋公演のみまだチケット残あるようです。今回はこのグループ2011年11月オランダ・アムステルダムで行われた第16回ファン•ワセナール国際古楽アンサンブルコンクールで見事優勝した凱旋公演と共に、CD「19世紀における珠玉のピアノ五重奏作品集Vol.1」の発売記念ツァーとか。乞うご期待!
CD 「19世紀における珠玉のピアノ五重奏作品集Vol.1」が発売される。

2012年7月23日 (月)

真夏の夜のフォルテピアノ公演

423日、真夏の夜の洋館でのフォルテピアノ公演の御案内です。8月5日(日)19時開演、池袋明日館講堂にて 「丹野めぐみフォルテピアノリサイタル」(東日本大震災復興支援コンサートwith明日館シリーズ) 今回は再び1820年製の6オクターブのオリジナルピアノを使ってベートーヴェンの「熱情」を始めシューマン、メンデルスゾーンの作品が登場の予定。ウチのオリジナルでの「熱情」は初めてですね。乞うご期待!

2012年7月22日 (日)

スピネット

222日、まずは個人宅の現代ピアノ調律。環境変化が激しいお部屋なのか少々御機嫌斜めのピアノをなだめるのに一苦労。堅牢な現代ピアノでも度を超す変化には反抗するんですね。午後から3台の楽器を積んで500kmのドライブ、いや東西でこうも気温違うんですね(10℃は違ったのでは・・・) 東京の涼しい事!久々にT社のスピネットを運送するも結構重いしイヤハヤ持ち難い。昔は軽々1人で運んだもんですがどうやっていたのかトンと思い出せず・・・。

2012年7月21日 (土)

フタを封印?

221日、今日は老舗ライブハウスでのダンス系公演で使用する現代ピアノの調律に出動。まず鍵盤フタを開けようとすると何故かガムテープで封印されておりビックリ。どうやらフタのネジ緩みが原因の共鳴雑音を防止するためだった様子(誰の仕業?)、しかし乱暴な解決法だなあ・・・。

4連日ガッツリ系の肉料理が続いたので今日のランチは御贔屓の蕎麦屋で「冷やしぶっかけ蕎麦」。暑い時はこれに限ります。午後は鍵盤楽器3台を車に積込。明日まで車中泊なので日没まで涼を求めて徘徊する予定もにわかに空がかき曇り午後は激しい雷雨に。楽器には恵みの雨でしたね。

2012年7月20日 (金)

夏のオルガン出動

320日、合唱団の公演本番。昼の搬入までオルガンを車中で蒸し焼きにしないため早朝からエアコン付けて日陰で長時間の待機を覚悟するも幸い天気は崩れ気味で猛暑はひと休み、おまけにホールは夜本番なのに朝から借りてますよとの事で(合唱団太っ腹!)早々とオルガン搬入しゆっくり舞台の環境に慣らせるのでこりゃ調律楽勝では・・・と喜んでいると、ホール側から「今日は空調トラブルで冷房の効きが悪いんですよ」と言われガックリ。しかし本番には冷房回復しリハ調律のみで本番突入出来助かりましたが。大ホールでオケも合唱も大編成なので久々に秘密兵器が登場し音量補強。

1ランチはホール近くで評判の大衆食堂で名物「オムカツ」。ありそうで無い組み合わせなので興味津々で注文するもオムレツととんかつの相性は期待程では無いのでは・・・(ケチャップ味のカツというのもどうよ・・・という感じでした)。それよりもデカ盛りで有名なお店と知らず大盛注文してしまい危うくギブアップ寸前(汗)、次回は他のメニューもトライしたいお店でした(どれも美味しそうでしたが)

2012年7月19日 (木)

不思議な縁

119日、先日お届けしたチェンバロの御機嫌伺いに出動。今回全く面識の無い方に中古楽器を御紹介したのに実は前の持ち主と新たな持ち主が数十年前にお会いしていた事が判明し仰天。やはり縁がある方に楽器も嫁いでいくのですね・・・。仲人役としては嬉しい縁結びとなった次第。昼は昨日に続きリハがあるオケ練習場近くの人気の洋食屋でステーキランチ。時間を外したつもりも閉店間際まで満員という人気振り。美味いお店が御近所にある会場に出動する時は気合が入りますね(笑)

2今日も合唱団のリハにオルガンで参加。節電の時節柄冷房を制限するのでは?と心配するも、何故か寒い位に冷えており(きっと古いビルなので微調整出来なかったのでは?)オルガンのピッチがドンドン下がって大変!ピッチにシビアなモダンオケがお相手なので気が抜けない・・・。

2012年7月18日 (水)

真夏本番

218日、梅雨明けの猛暑の中某オケ練習場にオルガンで出動。真夏の運送で(実は3日間車中泊)温まったオルガンの調律具合を心配するもほぼ手直し無しで使える状態でホッ。オケの方とはこの夏の節電の影響を色々と情報交換。去年は各地でホールの空調を止められたり照明を落とされたりと温度湿度に敏感な楽器を抱えて結構悪戦苦闘したので今年の節電がどんな様子か非常に心配・・・。

2012年7月17日 (火)

4人で階段上げ

817日、まずは某博物館で日本チェンバロ伝来史の資料の発掘作業。昭和2年6月のラジオ出演(日本チェンバロ初演奏?)は相変わらず謎のまま・・・(多分こんな演奏家だったのでは?という推測は出て来たのですが)。昭和6年~7年の墺太利のチェンバロトリオの来日公演(先日御紹介の殿様が個人で招聘した模様)は多分日本チェンバロ公演の最初だった?。しかしこのグループ関西でのラジオ出演とコンサートの間が1カ月半も開いており実は長期で関西滞在したいたのでは・・・(その間何をしていたのかを想像するのも楽しいのですが)。そして昭和12年の大阪での日本最初のチェンバロリサイタル(神戸在住のスイス人の演奏でしたが)の謎も残念ながら新事実の発見は無し。しかし某大な資料を丹念に調べていると昭和初期の日本人のチェンバロに対する熱い(?)憧れや注目度が伝わってきますね。昼は住宅地の中にある隠れた「庶民的蕎麦屋」で凄いボリュームの焼き豚定食で満腹。

9午後は昨日引き取った重量級チェンバロの個人宅での厳しい2階階段上げ。相当の難作業を予想して4人掛かりで望むも(チェンバロで4人は初体験か?)本当にギリギリで無事チェンバロを設置完了。下見をしても100%の確信がなかっただけに狭くて急こう配な階段を何とか持ち上げる事が出来ホッ!

2012年7月16日 (月)

重量級チェンバロ

316日、猛暑の3連休最終日、至る所事故や渋滞で車の走り難い事・・・。今日は過去有数の重量級チェンバロの運送で出動。余りの重さで持ち上がらないのでは?と危惧するも何とか引きずりつつ(?)車に積込み完了。ヤレヤレと家路を急ぐも行楽客で大渋滞の道に捕まってしまい動かない・・・。お陰で少し観光気分味わえましたが。

2012年7月15日 (日)

温度よりも湿度対策?

2015日、連チャンで登板予定のオルガン、今日は中休みなので本当は車に積みっ放ししたかったのですが何しろこの暑さ・・・(こういう時に限って雨も降らず)。日が出る前に楽器を降ろし日が沈めばまた楽器を積込み「オルガンの照り焼き」防止に励む1日。スタジオでは出番間近のチェンバロやフォルテピアノの御機嫌伺いをするも湿温度管理順調でほとんど触るところ無し。越冬ならぬ越夏対策は今のところ万全であります。チェンバロやフォルテピアノの変化を観察しているとどちらかというと温度よりも湿度に敏感なようですね。皆様も除湿対策怠りなく!

2012年7月14日 (土)

オルガンで四季

Or_214日、今日は都心のホールでのVivaldiの四季をチェンバロの代わりにポジティフオルガンを使った公演に出動。重量感ある低音や自在に延ばせる持続音などチェンバロとは一味違った魅力もあり意外にオルガンはこの名曲に合いますね。2段重ねのクラヴィオルガノでの通奏低音だとさらに強力かも・・・、誰かやりませんか? 

Or_9_2ホール入り前に御近所の神保町のSP盤店を冷やかすと、昭和7年発売のランドフスカのイギリス組曲の日本盤を発見。彼女の日本での初のBach演奏盤と言う事で(もしかすると日本盤最初のBachのチェンバロ演奏かも・・・)当時話題になったでしょうね。今まで洋盤をメインに収集していたものの見方を変えると日本盤も興味深いもんです。

Or_10_2こちらは1906年ウィーン生まれで亜米利加で活躍したチェンバロ奏者Y・ペッスルの日本盤。彼女も戦前に何枚も日本盤が発売されたようなので日本でも知名度が高かったチェンバロ奏者だった様子。今日入手の盤はJOAKのシールが貼られているので某国営放送局の放出品ですね。この盤で全国にチェンバロ演奏がラジオ放送で流れたかもしれないと思うと「お宝ゲット!」かも・・・。

Or_13_2これが今日入手した中で一番の目玉盤! 昭和26年の某記念式典の録音盤(?)で、解説パンフの中に式典の中でハイドン「天地創造」も演奏とありますね。もしかすると指揮者はS藤秀雄先生の可能性大なのですが・・・。これは近々また蓄音機コンサートやらないといけないですね。乞うご期待!

2012年7月13日 (金)

殿様の豪遊

Disques_4213日、先日御紹介した「音楽の殿様」(この呼び名はちょっと馴染まないですね)の伝記。その中にはこの紀州の殿様と世界的演奏家との驚くべき親交振りが次々と紹介されてます。プッチーニ、ニキシュ、サン=サーンス、ジンバリスト、ゴドウスキー、クライスラー、コルトー、ティボー、カザルス、シャリアピン・・・。もう20世紀前半のヨーロッパ音楽界の巨匠達皆親友と言わんばかりのエピソード満載、多分この殿様の素性を知らない方が読むとトンデモナイほら話と思うはず。実は私も最初随想録を読んだ際、何故世界に名だたる巨匠達が東洋の島国の殿様と親交があるのか不思議でしたが今回の伝記を読むと納得。まず殿様の桁外れの財力が凄い、32歳で家を相続した際の遺産が現在の価値で約1500億円(流石御三家の末裔だけありますね)、来日した有名演奏家は次々と自宅に招待したりと豪華な接待をしていたようですね。その後昭和4年に夫婦と随行者計7名で1年9カ月もの外遊旅行をした際は毎月(毎年では無い!)の旅費が2億円だったとか・・・。欧州でも同様な豪華な接待をしていたようなのでそりゃ演奏家も喜んで交友したでしょうが、しかしどうやったら月2億円も使えるのかそちらが不思議・・・。伝記の著者も最高級ホテルのスイートに連泊しても月数千万円しか(!)掛からないはず、毎日贅沢なパーティーを開いていたのか一体どうやって月2億も使ったのだろうと首をひねってました。しかしこの位金使いの荒い殿様だからこそ昭和6年にチェンバロ奏者を楽器ごと墺太利から呼ぶなんて事が出来たんでしょうねえ。あまりの浪費のためこの頃からお家の財政が火の車状態となるも殿様の音楽道楽はとまらず、代々の家宝の売却や慣れない商売への投資などを行うも殆んどの財産を使い果たしてしまったとの事。いやはや豪快な殿様もいたものです。

2012年7月12日 (木)

梅雨まだ開けず

5312日、早朝から550kmの長距離ドライブで昼からのリハーサルにギリギリ飛び込み何とかセーフ(事故あり渋滞ありといつもより時間は掛かりましたが)。今日の東京は最低(!)湿度が77%とか・・・。少し気温低くてもまとわりつくような湿気には参った!梅雨開けはいつでしょうかね。

2012年7月11日 (水)

ガンバリサイタル

311日、ガンバ奏者のリサイタルにジャーマンで出動。注目の公演なので客席の濃さは最近一番かも・・・。私も久々にお会いする方多く楽しい一夜でした。

2今日はJ・S・Bachのガンバソナタがメインとの事で、縁起担ぎで出動前にホール近くのこのお店でラーメン食べたかったのですが生憎今日は定休日・・・。Bachプログラムの時は是非ここで食べてからホール入りしたいものです。11月にこのホールで仏蘭西の暴れん坊Cem奏者(笑)のゴールドベルグ変奏曲リサイタルがあるので次回は是非・・・。

11_2今日も御仲間の録音屋さんがコダワリのオープンリールデッキでアナログ録音。古楽向けの音響でも評判のホールでの演奏なのでどんな音で録れているか興味津々。そういえば先日のLP新盤もこちらのお仕事でしたね。

2012年7月10日 (火)

日本チェンバロ史の謎

Photo10日、日本洋楽史に多大な功績を残した紀州の殿様の伝記を読了。やはりこの殿様の資料はあまり現存していないせいか今回の伝記も殿様自身の2種の随想録を元に書かれており驚くような新発見は無く、期待していた日本初(?)のチェンバロコンサートの件も残念ながら全く記述無し。当時日本ではレコード演奏しか知られていない伝説の古楽器(?)「チェンバロ」を日本で披露しようと、わざわざ墺太利から演奏家と楽器共に極東の島国まで呼んだと思われるので、相当の意気込みがあったはずと思うのですが何故か随想録には触れていないですね。西洋音楽の造詣が深く(作曲家パーセルの貴重な楽譜等を含む膨大なコレクションも所有していた程)、大正時代に日本初のホール用大型パイプオルガンを自ら注文し、戦時中はフィリピンのバンブーオルガンの修復に貢献した程の古楽と楽器マニアだった殿様が、何故チェンバロについて何も語っていないのかはこれまた大きな謎となった次第。しかし今回の伝記、殿様の行動記録を丁寧に検証しており、本人の記述が意外に不正確な事を随分挙げてますね。記憶違いだったりする場合がほとんどながら、中には故意に事実を偽装したりした部分もあるようで、歴史的な検証には相当の注意が必要と言う事を痛感。

2012年7月 9日 (月)

日本チェンバロ界の大恩人はこの殿様か?

Photo9日、偶然立ち寄った本屋で我国洋楽黎明期の重要人物でもある紀州の殿様「徳川頼貞」の伝記を発見し早速入手。この殿様、青年時代から欧米での留学中に贅を尽くした音楽体験を得て、帰国後は日本初の音楽ホール(南葵楽堂)やホール用パイプオルガン(現在旧奏楽堂所蔵)を自宅に建築した上に、大正昭和初頭に来日した外来演奏家と親しく交流するなど正に洋楽普及に尽くした大パトロンだったとの事。しかしこの殿様、実はチェンバロ界の大恩人でもあるようで、昭和6年から7年にかけて墺太利から来日したVn+Vc+Cem・Pfのシュナイダートリオの招聘を行ったとの記録もあり、どうやら日本初(まだ確証は無いのですが)のチェンバロ演奏会を開催したのが彼らしいのです(この時はノイペルトの2段チェンバロを欧州から運ばした?)。こんな我国オルガン界、チェンバロ界を始め洋楽界の大恩人たる殿様が何故か最近の洋楽史の研究には殆んど名前が出てこないのが私には謎でしたが(この本でもその謎に少し触れている様子)、こうやってこの殿様の偉大なる業績に再びスポットが当たる事は喜ばしい事であります。しかし紀州徳川家の莫大な財産(現在の価値で千五百億円?)を音楽のために1代で使い果たしたとは驚くばかり・・・。

2012年7月 8日 (日)

パイプオルガンの被害

1628日、届いたばかりの日本オルガン研究会の年会報で、昨年の東日本大震災によるパイプオルガンの被害調査報告を拝見。学校や教会のオルガン数台が完全倒壊など大きな被害が出た阪神大震災の経験を踏まえての設計や補強があったお陰か、阪神程の大被害のオルガンが殆んど無かったのは幸いでした。しかし阪神の時と東日本の地震では震度は同等ながら揺れの性質が全然違っていたために今回は楽器へのダメージが比較的小さかったのでは・・・とも思います。まだまだ大規模地震への警戒が怠れない御時世が続きますが今回の震災の経験が次への教訓となる事を願っております。

2012年7月 7日 (土)

凱旋公演

Photo7日、雨の七夕。昨日のポジティフオルガン・チェンバロのリハーサルから一転今日は百九十二歳の御老体洋琴のリハーサル。今度の出番はこのグループの2011年11月アムステルダムで行われた第16回ファン•ワセナール国際古楽アンサンブルコンクールにて優勝の凱旋公演(大阪名古屋東京計4か所で開催)。個人的にはウチのフォルテピアノには相性抜群のシューベルトの「ます」を舞台で初めて聴けるのが楽しみ。

2012年7月 6日 (金)

除湿器イラズ

326日、しばらく不在だったスタジオで久々にリハーサル。一週間前の調律のまま放置していたチェンバロをチェックするもピッチも含めて微動だにせず御機嫌麗しいまま・・・。実は少し前にエアコンを新調するも今度のものは湿度調整も完璧で(夏の除湿も冬の加湿も出来るスグレモノ)、この梅雨も除湿器無しで楽器に快適な環境をキープ。さすが業務用大手のD社の製品は違うと感心(外がカラリと晴れ上がると乾燥し過ぎるのでチェックは必要ですが)。しかし除湿器のようにタンク満水ですぐに止まる事も無く何日でも快適な湿度が維持出来るのは留守が多い者には有難いもんです。

2012年7月 5日 (木)

モーツァルトのピアノの謎

Cd5日、モーツァルト所有だったワルター製のピアノ、実はモーツァルト没後に改造されていたのでは?という説が20年位前から各種出てきているのですが、本当はモーツァルトはどんなピアノを弾いていたのか?と言う事は今のところ永遠の謎となっております。研究家達は残された楽器から色々な推測をしているのですが、中には「ダンパーは膝レバーでは無く手動だったのでは」「ウィーン式では無くイギリス式メカニックだったのでは」など大胆な説も出ており、モーツァルト好き、フォルテピアノ好きには目が離せない論戦が今も展開中・・・。そんな中で「面倒なので(?)実際に音を出して比べてみましょう」という凄いCDがあると伺いやっと入手(演奏はTom Beghin モーツァルトピアノソナタ トルコ行進曲付き 他が収録、7年前に録音されていたとは知りませんでした)。演奏で使われたフォルテピアノはモーツァルト所有だった1782年作のワルターのコピー(2005年Cマーネ作)。 1台の楽器にウィーン式(跳ね上げ型)とイギリス式(突き上げ型)の2種類のアクションを作り交互に入れ替えて演奏してますが、イギリス式の際には手動レバーのダンパーを使用し通常のウィーン式の膝レバーとの比較も出来るという凝りよう。CDでは同じ曲を弾き分けているのでその違いは一目瞭然!手動ダンパーという事は膝や足の操作とは違い演奏中の細かい操作出来ないので今の演奏とは全然表情が違うのには驚かれるのでは・・・。先日より私のフォルテピアノでも少しづつ試しているのですが、海外では相当研究進んでいるようですね。モーツァルトのピアノ演奏についてまだまだ知られざる新事実が出て来るのでは・・・と期待しております。

2012年7月 4日 (水)

米比独立記念日

194日、米国と比国の独立記念日。20世紀の古楽器復興運動における米国の多大なる貢献は結構重要な歴史的事実だと思うのですが、欧州贔屓の我が国ではほとんど文章で拝見した事が無いのが残念・・・。古楽界に優秀な人材を輩出している国だけにいつかは正当な評価を得る事を期待しております。今日はさるお見合い(?)の立ち会い後に東へ移動。途中のSAで「伊勢うどん」でランチ。この「腰の無い麺に濃いダシ」というキャラは饂飩界では異端児的存在(普通この組み合わせは「不味い」のダブルでは?)、王道の讃岐系からは対極のはずが何故か気になりメニューにあれば注文してしまうのが自分でも不思議・・・(ヤミツキになる何かがあるのかも)

2012年7月 3日 (火)

御江戸ピアノ事始めは1826年(文政九年)

13日、さる機会があり日本でのピアノ導入史を調べていると、日本最古のピアノとして有名な「シーボルトのピアノ」(1819年英国Wm.Rolfe&Son's製の5オクターブ半のスクエアピアノ)が実は安政九年(1826年)、シーボルト江戸参府の際に一緒に運ばれたとの記述を拝見し少々興奮(ピアノ関係者ながら今まで知らず恥ずかしいのですが)。ベートーヴェンがまだ活躍している時代に江戸でピアノが演奏されたとは知りませんでした・・・。シーボルトは複数のピアノを持ち込んでいたのでは?とか、江戸でピアノを弾いたらしいがどのピアノだったのか?などまだ謎が多い様子ながら、日本のピアノの歴史を語る上で欠かせないエピソードなので今後さらに研究が進む頃を願っております。(独逸生まれでピアノ演奏が得意だったというシーボルトならモーツァルトやベートーヴェンの曲を日本で演奏したかも・・・)

2012年7月 2日 (月)

カラ梅雨?

22日、関西は今日も雨降らず真夏の暑さ(しばらく雨振っていない様子。もしかするとカラ梅雨?) 午前中は某所でチェンバロ試奏のお伴、午後から老舗ライブハウスでピアノ調律。空調照明大音量の中での強打等ハードな環境の中D社のピアノ今日もタフに稼働中。そう言えばこのピアノ酷使にも関わらず断弦も無くトラブル知らずで助かってます。

2012年7月 1日 (日)

日本のクラヴィコード事始め(3)

Photo_81日、日本におけるクラヴィコードの歴史を探るシリーズ続編。昭和8年1月号のレコード雑誌には、かのアーノルド・ドルメッチのクラヴィコード演奏によるバッハの平均律作品を中心とした録音の特集が登場しております(今でいうとレコ芸の冒頭といったところだったのでは)。内容は「あの古楽器復興の旗手たるドルメッチ氏がついにバッハが愛用した幻の楽器クラヴィコードでバッハ作品の最高峰平均律を録音」といった熱い(?)紹介でいかにクラヴィコードでのバッハ演奏が期待されていたかが判ります。

Disque_2同じ昭和8年の違う音楽雑誌の冒頭グラビアにもドルメッチ氏が登場。この時代日本でもドルメッチ氏はチェンバロ界の女王ランドフスカ女史と共に古楽器界の二大スーパースターという扱いだったようです。ランドフスカは当時雑誌社が販売した世界著名演奏家ブロマイドでも人気が高かったらしく(彼女の写真はどれも雰囲気溢れてますので当然か)今からは想像出来ない程の知名度だったようですね。ドルメッチは流石にブロマイドにはならなかった様子。

Disque当時のレコード会社もこのカリスマ演奏家の画期的なバッハ録音レコードを話題作として大々的に宣伝しておりますので、多くの音楽愛好家が昭和八年にはクラヴィコードという楽器の存在を知ったのではと思われます。昭和九年にはラジオの教養講座で「古楽器とその音楽」「歴史的に見たピアノ」昭和一一年には「趣味の音楽史」という興味深い内容を放送したようですので、中には少し前に話題になったクラヴィコードについて触れたのでは?と思えますし、もしかするとチェンバロに比べて小型なので物好きな愛好家が戦前に早々と海外から日本に持ち帰った可能性もあるかもと思うのですが・・・。

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