日本のクラヴィコード事始め(2)
30日、日本で最初のクラヴィコード公演のお話の続編。昭和16年10月、日中事変は泥沼化し太平洋戦争突入直前という戦時色が強い時期に独逸から半ば亡命した形で来日したシュナイダー女史がチェンバロやクラヴィコードで演奏活動を積極的に行えた事はある意味驚きでもあります。どうやらナチス文化使節という立場であったため、外人演奏家の活動が制限される中比較的自由に活動出来たのではと推測しているのですが(そのようなナチス関係者だった女史が戦後米軍占領下で比較的早くに活動再開出来た事はまた新たな謎ではありますが・・・)
しかし昭和16年に日本ではどの位クラヴィコードが知られていたか?という事も興味あるテーマです。昭和初期に西洋音楽の解説書が多数出版された中で楽器解説にはもうクラヴィコードはかなり正確に登場しておりその存在は熱心な音楽愛好家にはかなり広く知られていたようです。何しろ私がいつも申し上げる「日本における最初の古楽器ブーム」の中心はチェンバロと共にクラヴィコードだったのですから!
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