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29日、昨日入手した戦前の音楽雑誌の中で興味深い記事を発見したのでご紹介。昭和13年の雑誌Disquesに「砂漠に聞くクラブサン」というどうやらエジプト在住の音楽好きの邦人によるランドフスカ女史チェンバロリサイタルのレポートが掲載。当時エジプトの11月から4月は欧州人の避寒地として栄え、それを当て込んで大物演奏家が多数来演していたそうな。その中で著者が特に絶賛したランドフスカ女史の連続リサイタルは、ヘンデル、バッハ、スカルラッティ、クープラン、ラモーとチェンバロの大曲をずらりと揃えた上にモーツァルトを現代ピアノで弾くという大サービス(どちらもPleyelだったとの事)。また演奏の合間に講演まであり、著者はまるで「エコール・ランドフスカ」にでも行って聞いている様だったとの事(笑)。
リサイタルではチェンバロ演奏の後にピアノでモーツァルトのトルコ行進曲などを熱演して、またすぐにチェンバロを弾いたそうで、女史は違う鍵盤楽器を苦も無く自在に弾き分けられた様子。しかしピアノとチェンバロ2台を同じリサイタルで弾いていたという話は初めて聞いた次第。巴里から遠路アフリカの砂漠の国までチェンバロを運んだというのも凄いですが、エジプトでの演奏会の記事を日本人が興味深く読んでいたという事も凄いのでは・・・。そろそろ戦時色が濃くなってきた当時の我が国でもランドフスカの人気(チェンバロブームでもあるのかも?)は絶大だったのでは?
28日、神保町を通ったので久々に古書店や音盤店をちょっとはしご。戦前戦後の貴重な音楽資料やチェンバロ、ガンバでパーセルやモンテヴェルディを演奏したSP盤、チェンバロとピアノのデュオで演奏したゴールドベルグ変奏曲のCDなど面白いモノ多数を収穫(後ほど御紹介予定)。午後はさるチェンバロ工房で新作楽器等を演奏家とご一緒で拝見。
結局チェンバロ3台(ショートとロングの違ったスケーリングのジャーマン2段を弾き比べが出来るとはナントモ贅沢!)とクラヴィコード2台の計5台をじっくりと試奏。相変わらず志向性が明快で音量豊かな音色と凝った木工仕事が素晴らしい!嫁ぎ先がまだ確定していないので今ならすぐに納品出来る楽器もあるよとの事(楽器をお探しの方、試奏して決められる良いチャンスでは?)。
しかしこちらの工房は素晴らしいだけでなく結構楽しい作品も多い様子。これはハイヒールを履いた上に尻尾があるチェンバロ用椅子。これに座って弾けば狐に化かされたような名演(迷演?)を披露出来る事間違い無し!
27日、今年8月に開催のブルージュコンクール、明細が発表されてましたね。今回のチェンバロ部門は御大レオンハルト最後の審査ではと思ってましたが(高齢の御大に参加してもらうために無理やり開催を1年早めたのでは・・・とまで勘ぐっておりましたが)1月の逝去のため急遽審査員を変更した様子。発表ではJury: Johan Huys(ベルギー), Christine Schornsheim(独), Skip Sempé(仏), Menno van Delft(蘭) and Kenneth Weiss(米).の5人。東欧や南欧系の審査員がいなくなりレオンハルト門下ばかり(?)というのが少々気に掛かりますが今回はどんな審査をしてくれるのか興味深々。最近進出盛んな東欧勢今回も強いのか?一時期ほど勢いが無くなった(?)アジア勢巻き返すか?
26日、16fチェンバロについての考察、今回は20世紀初頭の文献について。現代古楽器復興の開祖たるアーノルド・ドルメッチの1916年の著書を拝見すると、「ハープシコードの中には第4列目に16フィートの長い弦が張られておいるものがあり、これらの楽器は必然的に巨大なものとなり一般的には普及しなかったがその音は素晴らし深みと壮大さを有していた。J・S・バッハはこのハープシコードを所有、そのため彼の作品中のいくつかのパッセージは16フィート音でなければ完全な効果を生むにいたらない(要訳)」という紹介があり、モダンチェンバロ普及前(ランドフスカが初めて自分のモデルで演奏したのが1912年、この時代はまだ16f付きのチェンバロはほとんど普及していなかったはず)にバッハと16fチェンバロの関係の深さを言及。またドルメッチはバッハの曲解説の中で「イタリア協奏曲」で16fの使用を想定しているのが面白い。(同じ曲解説でもゴールドベルグ変奏曲では16fには言及無し) 彼の復元製作したチェンバロには16f付きは積極的には付けていなかった様子ながら(まだ調査中ですが)この時代に16fについてはっきりと存在を認めているのは興味深いです。それよりも同じ資料の中で「クリストフォリよりも100年近く古い1610年製のピアノをパリで実際に触れて調査したがまぎれもなく最古のピアノである」という記述に仰天。これが本当なら世紀の大発見のはずがどうして現代まで伝わっていないのか・・・。
22日、最近独逸から「こんな楽器を修復したよ」と送られて来たのが数年前に非常にオリジナルに近い状態で発見されたというTangentenflügel(TangentPiano)の資料。この18世紀後半に発明されながら短い年月で姿を消してしまったという木片で弦を打つ特殊な構造のピアノ、現存数が少ない上にコンサート仕様の良いコンディションの楽器は世界的にも僅かという貴重な物(友人の楽器はオリジナルなのに今やコンサートや録音で活躍しているとか)。今までその特殊な機構だけに同時代のフォルテピアノ程の表現力が備わっていないのですぐに廃れてしまったと思っていたのが友人の楽器で録音したCDを聴いて仰天、そのシャープでダイナミックな音色はフォルテピアノと全く遜色が無い魅力ですね。
ちょうど「モーツァルトがシュタインのピアノに接する前は実はピアノはTangentenしか知らなかったのでは?、モーツァルトとTangenten との関係は確証は無いけれど相当深い関係にあるはず」という説を専門家の方から伺ったばかりなのでその演奏を聴いて正に納得でした。これは是非現物を見てみたい!
21日、讃岐遠征以来すっかり重症の饂飩熱を冷ますため(笑)、今日は出向いたハマで老舗蕎麦屋をハシゴ。まずは昭和25年創業、開業当時のままという昭和の香り漂う店で大モリ。ここは「付け天」が名物との事ながら(天婦羅美味しそうでしたが)グッと我慢で蕎麦に専念。
今日はリハ開始時間を4時間も誤るというポカをしでかし(?)待ち時間に地元演奏家のご案内で今度は昭和22年創業という街中の繁盛店へ。ここでもストイックに「セイロ」を注文すると店の御主人が「シューベルトの御飯もありますよ」と不思議な事をおっしゃる・・・。聞けば大の音楽好き、我々が音楽関係者とご存じなので「鱒御飯」を勧められた様子。2軒共老舗らしい主張のはっきりした蕎麦とツユ、そして雰囲気を味わせていただき久々に奥深き蕎麦道を堪能。(これで太麺信仰は少し収まるか?)
19日、今日はベルリンの「Bach-Cembalo」について。このバッハ所有の楽器だったと伝わる(真偽不明)有名なチェンバロ、現在は弦を外され音が出せない状態。現代チェンバロ界の開祖たるランドフスカを始め多くのチェンバロ製作家がこの楽器を参考にして20世紀初頭に16f付きのモダンチェンバロを発展させていった事でも判るように多大な影響を与えた重要な楽器と言えるはず。しかし参考にしたのなら設計だけではなくその音色も聴きたかったはず・・・。100年前は果たして音が出る状態だったのだろうか知りたいところですが。
昭和16年6月にエタ・ハーリッヒ=シュナイダー女史が初のチェンバロリサイタルを東京で開催した際のプログラムを見ると何故か古いチェンバロの写真が小さく掲載されており 拡大するとどうやらかのBach-Cembaloでは!(下記の写真と比較あれ) 何故この楽器の写真を使用したかは謎ながら、やはり当時から象徴的な楽器だと女史が考えていたのかも。しかし戦前にこの楽器が日本で紹介されていた資料はまだ私は拝見していないので多分女史が独逸から持ち込んできた写真なのでは。
私が実物を撮った写真をUPして比較しても鍵盤回りの装飾や下鍵盤のD1の鍵盤が少し白っぽい事でもこの楽器の写真と特定出来そう。しかし戦前の写真には弦が張ってあるのにご注目!少なくともある時期までこの楽器は音が出ていたのでは?と推測するも何分録音などの資料は見た記憶は無し・・・。どなたかご存じしょうか?
18日、16fチェンバロとBachの関係を探る考察続編。独逸の製作家からの情報によると・・・。ベルリンの「Bach-Cembalo」はやはり伝承だけで確たる証拠は無いのでバッハ所有と断定は出来ないだろう。しかしバッハは16fチェンバロをケーテン時代(作者不明)とライプチヒのCafe Zimmermann(Z・Hildebrand作)では使用していたという記録があるとの事。18世紀ハンブルグやチューリンゲンの製作家だけでなく、17世紀イタリアでも16fチェンバロが作られていた(Cembaloneと呼ばれる低音用大型楽器だったそうな)など結構各地で作られていた様子だとの事。また元は16f付きチェンバロだったものが音域拡張のために後世8fタイプに改造された例も多々あるのでは?との事。(確かに異様に長い楽器はそうあっても不思議は無いのでは・・・) 久々にスポットが当たりつつある16fチェンバロ、20世紀初頭からモダンチェンバロの手本として多大な影響を与えた「Bach-cembalo」などのチューリンゲンモデルよりも、最近は現存楽器もあり研究が進んできているハンブルク系の楽器の復元が多い様子。ちなみにいわきの16fチェンバロはハンブルグのZell(Fleischer?)作の楽器(こちらで綺麗な蓋のみ見れます)をベースにした楽器ですし、CD録音で一躍話題をさらったAシュタイアー氏所有の楽器はブリュッセルの楽器博物館にある有名なHassのコピーとの事。16fチェンバロがさらなる注目を浴びる事を期待する次第。
17日、先日のいわきの16fチェンバロの見学会での楽器説明の際、「バッハも16f付きチェンバロを所有していた」と申し上げると参加の演奏家から「ベルリン楽器博物館にある有名なBach-Cembaloは本当にバッハの所有楽器だったの?」と質問あり。確かに資料では「バッハから息子(WFバッハ)へ、その後幾人もの所有者を経て19世紀末に博物館が入手」とあるもサインや記録は無くあくまで伝承によるだけですね(多分そうでは?という論調ではありますが)。また注目の16fレジスターは後世の改造で追加されたものという説からバッハの時代からあったという説までありこれまた現在も結論が確定していない様子。
しかし近年このBach-Cembaloの復元楽器が熱心な研究家により製作されており(勿論オリジナルは長年に渡り大幅な改造を加えられていたのであくまで推測の部分が大きいはずですが)、その楽器には16fがあるので現在は元から16fがあったという説が有力では?(18世紀ドイツの16f付きチェンバロでもチューリンゲンタイプとハンブルグタイプと云うようなモデルの違いがあるようですが・・・) バッハがどんなチェンバロを弾いていたかは業界最大の関心事(?)のはず・・・、今後のさらなる研究を期待しております。
15日、噂の16fチェンバロを弾きに7名もの演奏家、楽器関係者の方々が福島県いわきを来訪。折角遠路お越しいただいたのならとこちらもチェンバロ2台、ポジティフオルガン1台の計3台を広い会場に用意し御一行をお出迎え。震災以来1年で実は合計でも数時間(!)程しか弾かれていなかった楽器陣、最初は深い眠りから中々起きてくれず心配するも久々にスポットが当たったお陰か徐々に目覚めてくれてホッ。見学後は小名浜漁港で鮟鱇鍋など海の幸で宴会、2次会までお付き合いし明け方帰京。東北といえいわきは東京からたった200km、実はそれ程遠くないのですよ。日本でも他では見れないヒストリカルな16fチェンバロ、弾きたい方は是非お声を掛けてくださいませ。
14日、192歳の老ピアノが再び御近所の洋館に登場。東日本大震災復興支援コンサート(震災1年後もまだまだ継続中!)今回は丹野めぐみフォルテピアノリサイタル。1820年製のウィーン式ピアノを使いながらプログラムはフォーレ、チャイコフスキー、クララシューマンとまずは意表を突く前半に続き後半は正に楽器と同時代のベートーヴェンPfソナタ(変イ長調)。先日の独「鍵盤の達人」女史に引けを取らない多彩な鍵盤コントロールとペダル技が素晴らしく、またフォルテピアノならではの宝石のようなピアニッシモの音色を至近距離で存分に堪能。やはりこの会場はフォルテピアノとの相性が抜群でどんな繊細な音も後ろまで明確に聴こえてくれるのがありがたい!
「SANUKI」國饂飩巡礼旅の続編。まずは初訪問の讃岐西部観音寺の人気店へ。東部の「打ち立て饂飩で直球勝負!他は天婦羅だけ」という純文学系(?)のお店と違いこちらはネタは豊富でおでんも人気と間口が広い「大衆文学系」か? どれを注文するか迷うも具たっぷりな肉うどん小(300円)。
西部の饂飩旅2軒目も地元人気店。やはり饂飩だけではなく定食メニュー充実の懐広いスタイル、それでも饂飩はハイレベルで腰のある麺が素晴らしい!醤油うどん大400円
再び高松に戻り釜揚げで人気のお店へ。ここは「釜バター」なる濃ゆいメニューも評判ながらオーソドックスに釜たまを注文(小350円) 卵のフワフワ感と歯応えキリッとした麺の相性が素晴らしい!
次は高松郊外の小さな大衆饂飩屋。横で麺を打っているところを見ながら自分で湯掻くセルフのお店。外部の人間が思い浮かべる讃岐饂飩の典型的なお店かも。かけうどん小160円。
最後は大型大衆店。ここまで回ってやっと余裕が出来たので(笑)トッピングでゲゾ天でかけうどん小300円+天婦羅100円。大振りなげそ天噛み切れない程のボリュームながら揚げたてではないので味はイマイチか・・・。饂飩と同様揚げたてに当たるために時間調整が必要かも。 しかし本場讃岐の饂飩のレベルの高さに今回も仰天した次第。やはりこの味は讃岐に行かないと味わえないようですぞ!
朝の軽い(笑)寄り道を経て昼には土佐に到着。今は本州四国間の橋や高速で簡単に行き来出来る四国南端の街も昔は船に乗って四国の山道を越えて丸1日掛かる大移動でしたね。久々に昔のルートを使って「遠い高知」を実感。今日からこちらの公演のリハーサルにポジティフオルガンで参加。
9日、夜中に神戸より地中海豪華船クルーズならぬ瀬戸内海フェリー縦断に出発。どこぞの座礁した船とは違い客席で寝るにも枕や毛布は持参すべしという特別待遇で約4時間、明け方船は無事讃岐國へ到着。
讃岐國に来たならばと朝食に饂飩巡りを敢行。まずは讃岐一早起きという高松郊外のお店(5時半開店とか)からスタート。まだ真っ暗の中でも結構繁盛しております。東京なら「旨い!」と驚く麺の腰とダシの味ながらこちらでは平均点の様子。一玉230円。
2番目は中心街の大人気店に行列が出来ない時間ならと開店(こちらは6時)と共に飛び込むもはやりこちらも結構お客来てます。噂通りの腰のあるモチモチ麺とダシのバランスが素晴らしい!自分で麺を湯掻いてダシをタンクから注ぐ完全セルフのお店。一玉160円。
3番目は郊外の業界内有名店へ。ここはネギを自分でハサミで切ってトッピングするのが評判のスタイル。麺はあまり腰は無いものの(皆さんこのお店にはその方面には期待していない様子)お店のママさんのアクが強くそのマシンガントークを聞くだけで充分饂飩の味付けになっております。帰る時に最後まで手を振るママさんカワイイ!一玉200円。
奥地に踏み入り店の個性はますますディープに・・・。次は看板どころか店には全く見えない農村地帯の手ごわい製麺所。知らない人ならお店だと絶対判らないはず。
このお店、売るのは饂飩だけ。食べたければ店で麺を湯掻いてあげるけどドンブリや箸が持参すべしという凄いシステム。噂を聞いていたので丼箸持込みで注文するもダシも必要だったとは・・・。お店の方が親切に醤油をかけてくれましたがそうやら自宅の冷蔵庫から出してきた様子。恐るべし讃岐の製麺所。一玉70円。
最後は讃岐國の西端の超有名店。ここは湯を沸かすのに昔ながらの薪を使っているそうな。口の中で踊る様な麺の歯応えといい香り高いダシといいもう極上の饂飩でした。
このお店、まだ驚く事にオバチャンがこれまた昔のままで足で踏んで饂飩を打っておりました。道理で腰のある麺になるはず・・・。超辺鄙なロケーションながら開店と共に繁盛の様子。一玉200円。 今日の朝飯代5軒ハシゴながら〆て860円! 讃岐饂飩の奥深さを堪能した次第。朝食後は一般道を通ってノンビリ土佐へ。
8日、恒例の年貢納めがやっと終了(やはり震災の影響で厳しい数字になっておりました)。久々に時間が出来たので御近所のまもなく閉店というお店2軒を訪問。ますは創業90年という老舗古書店、御主人急逝のため今月末までで閉店との事で日頃静かなお店も大入りの様子。いつもバッハの音楽が流れる中多彩な古書をノンビリ拝見出来る居心地の良い古書店が無くなるのは残念。
次に向かったのは30年続いた中古LPレコード店。このデジタル時代にもアナログ一筋にコダワった経営方針で頑張っておられたものの82歳の店主ここらが潮時との事で惜しまれつつ閉店とか。ウチの膨大なLP盤の多くがこのお店でお世話いただいたはず・・・。
私も思い出深いお店だけに今日は久々にエサ箱(レコード棚をこう呼んでましたね)漁りに精を出しLPレコードをまとめ買い。古楽復興ブームの立役者の貴重な録音を結構発見し大満足。
今個人的に熱中しているタンゲンテンフリューゲルの貴重な録音LP(この希少楽器は録音が少ないのでは)を見つけ大興奮。実はこの鍵盤楽器こそモーツァルトの鍵盤曲を語る上には絶対外せない重要な存在だと思うのですが・・・。
今回一番喜んだ収穫は、甲府のチェンバロコンクール審査員でも来日したノルウェーのチェンバロ奏者シェティル・ハクサンド氏の若かりし日の録音(Louis Marchandの作品集という渋い盤でしたが)。写真を見ても若い!その他オリジナル楽器での演奏を収録したLPを「大人買い」し大満足の1日。厄介な年貢納めも終わったので今夜遅くの便で久々に海外に出張の予定。乞うご期待!
4日、昨日に続きエタ・ハーリッヒ=シュナイダー女史の戦時中の活動を御紹介。昭和十六年来日まもなくの五月にチェンバロソロ(半音階的幻想曲など演奏した模様)でラジヲ初登場した女史は、その後七月には管弦楽と共演(バッハのCem協奏曲 イ長調?ニ長調?を演奏)、十一月には「音楽の捧げ物」(朝比奈隆と共演)など活発に放送出演しております。開戦後も昭和一八年の一月と五月にも女史のチェンバロ演奏が放送されており、終戦後も昭和二〇年一二月にピアノ演奏で出演した模様。戦時下にチェンバロによるバッハの演奏が何度もラジヲから全国に流れていたとは驚きですが、ナチス独逸の文化使節として来日していた女史が戦時中は同盟国の文化使節として演奏活動を続けながら、終戦後は亜米利加占領下にもかかわらず割と早くにラジヲに復帰した事もある意味大きな謎であります。
3日、日本チェンバロ界の開祖たるエタ・ハーリッヒ=シュナイダー女史の戦時中の日本での演奏活動を含む貴重な資料本がドイツから到着。来日まもなくの昭和十六年六月の東京での初のクラブサン獨奏會を手始めに七月の京阪神三カ所でのクラブサン獨奏會、再び東京でのクラブサン獨奏會と精力的に演奏会に出演した後、十月に新潟でピアノ・オルガン・クラヴィコードそれぞれの演奏会を開催(この時が日本初のクラヴィコードリサイタルか?)、そして翌昭和十七年一月には仙台の宮城女学校での演奏会にVn・Vc・Ftを交えてチェンバロとピアノで出演、この時はバッハの曲の他に尾高尚忠「Kleine suite fur cembalo」と坂本良隆「Sonatine
fur cembalo」という日本人作曲のチェンバロ作品が演奏されたとの事。これが実は最も早い邦人チェンバロ作品なのかも・・・。女史の来日一年も経たないうちに日本の作曲家達と熱心な交流があった証拠では?(今後の研究課題ですね) また三月には静岡と沼津でのコンサートにもチェンバロで出演との事。実はナチスに追われて半亡命のような形での来日ながら戦時中でもナチス独逸音楽使節と云う事で東京だけでなく各地でチェンバロを携え演奏活動を行っていたという事には驚いた次第。
1日、朝福島県のホールへ向かうも茨城県での地震で常磐道が通行止、しばらくSAで解除を待つも復旧の目処立たず待ち時間に給油していると「1年前もこんな中位の地震が続いた後にドーンと来たんですよ」とスタンドの人に言われ少々不安に・・・。海沿いの一般道も色々厄介そうなので(!)思い切って水戸から宇都宮・郡山を経ての150kmを超える高速大迂回でやっと目的地いわき入り(エライ遅刻でした)。
ホールに入りチェンバロのメンテナンスをしていてもまたグラグラっと来るので思わずヘルメットを横に置いて作業続行(舞台は吊り物が多い!) 震災後殆んど出番が無い16fチェンバロ(先日のロビーコンサートが実に1年振りの舞台でした)、幸い楽器庫の環境が完璧なので御機嫌は麗しいもののやはりその豪快な音色を皆さんに聴いて頂けないのは何ともモッタイナイ!
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