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2012年3月

2012年3月31日 (土)

階段上げ

Cem_431日、千葉の方へチェンバロ運送で出動。一軒家の2階上げながら、狭い階段2段曲がりの上に低い天井で苦労するも特注の小型サイズの楽器のお陰でナントか階段上げに成功(通常のサイズなら絶対上がらなかったはず)。イヤハヤチェンバロは軽く小さなモノに限りますよ・・・(笑)。

Cem_5お届け先の近くに評判の讃岐饂飩のお店があると聞きつけ早速訪問。本場並みの歯応えある麺と味、そして量に大満足(後は値段も本場並みなら満点でしたが・・・) 饂飩ブームのお陰で関東でもハイレベルな饂飩が食べれるのは嬉しい限り。帰りはお馬さんの掛けっこの見学客が集まるエリアを通ってしまい大渋滞。

2012年3月30日 (金)

暖かい!

430日、調整のためドッグ入りしていた1段チェンバロの仕上げの1日。今年の冬は乾燥だけでなく日によっては湿度が乱高下したようでチェンバロも例年とは明らかに違う変化をした様子。(予想外のトラブルでのSOS結構多かったです) 冬でも除湿機が必要な日が増えてきているのでは・・・。しかし今日は暖かかった!外を走っていてもセーター要らない程。ただ夕方風が強くチェンバロ運んでいても吹き飛ばされそうな程(ちょっとヒヤリとしましたが) これで桜の開花も早まるかも。

2012年3月29日 (木)

砂漠に聞くクラブサン

Disque29日、昨日入手した戦前の音楽雑誌の中で興味深い記事を発見したのでご紹介。昭和13年の雑誌Disquesに「砂漠に聞くクラブサン」というどうやらエジプト在住の音楽好きの邦人によるランドフスカ女史チェンバロリサイタルのレポートが掲載。当時エジプトの11月から4月は欧州人の避寒地として栄え、それを当て込んで大物演奏家が多数来演していたそうな。その中で著者が特に絶賛したランドフスカ女史の連続リサイタルは、ヘンデル、バッハ、スカルラッティ、クープラン、ラモーとチェンバロの大曲をずらりと揃えた上にモーツァルトを現代ピアノで弾くという大サービス(どちらもPleyelだったとの事)。また演奏の合間に講演まであり、著者はまるで「エコール・ランドフスカ」にでも行って聞いている様だったとの事(笑)。

Disque132リサイタルではチェンバロ演奏の後にピアノでモーツァルトのトルコ行進曲などを熱演して、またすぐにチェンバロを弾いたそうで、女史は違う鍵盤楽器を苦も無く自在に弾き分けられた様子。しかしピアノとチェンバロ2台を同じリサイタルで弾いていたという話は初めて聞いた次第。巴里から遠路アフリカの砂漠の国までチェンバロを運んだというのも凄いですが、エジプトでの演奏会の記事を日本人が興味深く読んでいたという事も凄いのでは・・・。そろそろ戦時色が濃くなってきた当時の我が国でもランドフスカの人気(チェンバロブームでもあるのかも?)は絶大だったのでは?

2012年3月28日 (水)

工房訪問

428日、神保町を通ったので久々に古書店や音盤店をちょっとはしご。戦前戦後の貴重な音楽資料やチェンバロ、ガンバでパーセルやモンテヴェルディを演奏したSP盤、チェンバロとピアノのデュオで演奏したゴールドベルグ変奏曲のCDなど面白いモノ多数を収穫(後ほど御紹介予定)。午後はさるチェンバロ工房で新作楽器等を演奏家とご一緒で拝見。

22結局チェンバロ3台(ショートとロングの違ったスケーリングのジャーマン2段を弾き比べが出来るとはナントモ贅沢!)とクラヴィコード2台の計5台をじっくりと試奏。相変わらず志向性が明快で音量豊かな音色と凝った木工仕事が素晴らしい!嫁ぎ先がまだ確定していないので今ならすぐに納品出来る楽器もあるよとの事(楽器をお探しの方、試奏して決められる良いチャンスでは?)。

21_3しかしこちらの工房は素晴らしいだけでなく結構楽しい作品も多い様子。これはハイヒールを履いた上に尻尾があるチェンバロ用椅子。これに座って弾けば狐に化かされたような名演(迷演?)を披露出来る事間違い無し!

2012年3月27日 (火)

今年のブルージュコンクール

4227日、今年8月に開催のブルージュコンクール、明細が発表されてましたね。今回のチェンバロ部門は御大レオンハルト最後の審査ではと思ってましたが(高齢の御大に参加してもらうために無理やり開催を1年早めたのでは・・・とまで勘ぐっておりましたが)1月の逝去のため急遽審査員を変更した様子。発表ではJury: Johan Huys(ベルギー), Christine Schornsheim(独), Skip Sempé(仏), Menno van Delft(蘭) and Kenneth Weiss(米).の5人。東欧や南欧系の審査員がいなくなりレオンハルト門下ばかり(?)というのが少々気に掛かりますが今回はどんな審査をしてくれるのか興味深々。最近進出盛んな東欧勢今回も強いのか?一時期ほど勢いが無くなった(?)アジア勢巻き返すか?

2012年3月26日 (月)

20世紀初頭の16fチェンバロ

3226日、16fチェンバロについての考察、今回は20世紀初頭の文献について。現代古楽器復興の開祖たるアーノルド・ドルメッチの1916年の著書を拝見すると、「ハープシコードの中には第4列目に16フィートの長い弦が張られておいるものがあり、これらの楽器は必然的に巨大なものとなり一般的には普及しなかったがその音は素晴らし深みと壮大さを有していた。JS・バッハはこのハープシコードを所有、そのため彼の作品中のいくつかのパッセージは16フィート音でなければ完全な効果を生むにいたらない(要訳)」という紹介があり、モダンチェンバロ普及前(ランドフスカが初めて自分のモデルで演奏したのが1912年、この時代はまだ16f付きのチェンバロはほとんど普及していなかったはず)にバッハと16fチェンバロの関係の深さを言及。またドルメッチはバッハの曲解説の中で「イタリア協奏曲」で16fの使用を想定しているのが面白い。(同じ曲解説でもゴールドベルグ変奏曲では16fには言及無し) 彼の復元製作したチェンバロには16f付きは積極的には付けていなかった様子ながら(まだ調査中ですが)この時代に16fについてはっきりと存在を認めているのは興味深いです。それよりも同じ資料の中で「クリストフォリよりも100年近く古い1610年製のピアノをパリで実際に触れて調査したがまぎれもなく最古のピアノである」という記述に仰天。これが本当なら世紀の大発見のはずがどうして現代まで伝わっていないのか・・・。

 

2012年3月25日 (日)

どこから来た?

525日、まもなく4月というのにまだまだ寒い日々。今年は桜開花遅れそう(梅はまだ見頃の様子)。訪問先で偶然覗いた古書店で珍しいフォルテピアノ関連の資料陣を発見(幸い所蔵しているものばかりで飛びつかずに済みましたが)。中には簡単には入手出来ない資料もありどなたの所からどんな経過で店頭に並んだのか・・・。多分鍵盤楽器関係者の所有本だったと推測するのですが、一体誰?

2012年3月24日 (土)

房総半島

1
24日、早朝より房総半島へ出動。週末の浦安鼠王国の渋滞は時間差でかわすもやはりどこも春休みで車多し(危うく遅刻するところでした)。昼は偶然見つけた本格的な蕎麦屋(結構旨かった!)でランチ。ここ最近やっと讃岐熱が冷めて来たのか細い麺を手繰る感触が戻ってきた様子。

2房総半島の奥地で見つけた表示板。こんなところまで津波は来ないのでは?と不思議に思うも地元の方に伺うと海岸から7~8kmの距離ながら標高が低い上に平坦な土地柄なので安心は出来ないのではとの事。太平洋に面しているだけに昨年以来非常時の対応策進んでいるようですね。

2012年3月23日 (金)

松葉杖で登場

323日、六本木の老舗ホールでの歌リサイタルに出動。雨ながら舞台が結構乾燥するなどチェンバロのコンディション作りにも苦労するも、今日の一番の難問は足の怪我で松葉杖か車椅子でしか動けないチェンバロ奏者をいかに舞台に上げるかでした(笑)。ホールのベテランステマネも「ウチで演奏家が松葉杖で舞台登場というのは初めてかも・・・」との事。結局階段を松葉杖でよじ登って頂きまして事無きを得ましたがいやはや珍しい体験をさせて頂いた次第。

2012年3月22日 (木)

Tangentenflügel

Photo22日、最近独逸から「こんな楽器を修復したよ」と送られて来たのが数年前に非常にオリジナルに近い状態で発見されたというTangentenflügel(TangentPiano)の資料。この18世紀後半に発明されながら短い年月で姿を消してしまったという木片で弦を打つ特殊な構造のピアノ、現存数が少ない上にコンサート仕様の良いコンディションの楽器は世界的にも僅かという貴重な物(友人の楽器はオリジナルなのに今やコンサートや録音で活躍しているとか)。今までその特殊な機構だけに同時代のフォルテピアノ程の表現力が備わっていないのですぐに廃れてしまったと思っていたのが友人の楽器で録音したCDを聴いて仰天、そのシャープでダイナミックな音色はフォルテピアノと全く遜色が無い魅力ですね。

Photo_2ちょうど「モーツァルトがシュタインのピアノに接する前は実はピアノはTangentenしか知らなかったのでは?、モーツァルトとTangenten との関係は確証は無いけれど相当深い関係にあるはず」という説を専門家の方から伺ったばかりなのでその演奏を聴いて正に納得でした。これは是非現物を見てみたい!

2012年3月21日 (水)

ハマの老舗蕎麦屋

121日、讃岐遠征以来すっかり重症の饂飩熱を冷ますため(笑)、今日は出向いたハマで老舗蕎麦屋をハシゴ。まずは昭和25年創業、開業当時のままという昭和の香り漂う店で大モリ。ここは「付け天」が名物との事ながら(天婦羅美味しそうでしたが)グッと我慢で蕎麦に専念。

3今日はリハ開始時間を4時間も誤るというポカをしでかし(?)待ち時間に地元演奏家のご案内で今度は昭和22年創業という街中の繁盛店へ。ここでもストイックに「セイロ」を注文すると店の御主人が「シューベルトの御飯もありますよ」と不思議な事をおっしゃる・・・。聞けば大の音楽好き、我々が音楽関係者とご存じなので「鱒御飯」を勧められた様子。2軒共老舗らしい主張のはっきりした蕎麦とツユ、そして雰囲気を味わせていただき久々に奥深き蕎麦道を堪能。(これで太麺信仰は少し収まるか?)

2012年3月20日 (火)

バッハは16fチェンバロを弾いた?

50220日、バッハがどんなチェンバロを弾いていたかは永遠の謎なのですが、それを垣間見れる場所があった事を思い出しました。バッハに所縁深き街ライプチヒのBach Museumに2年前リニュアルオープンした直後に訪問しましたがその中に興味深い展示が・・・。

54館内ではバッハが活躍していた時代の再現映像が流されており、その中でバッハを交えた演奏風景で使われていたのが16fチェンバロ! バッハの総本山たる場所で見せている資料だけに時代考証は怠っていないはず・・・。となればバッハが16fチェンバロを弾いていたという説はある程度認知されているんでしょう。他にもスパラの解説もありました。

2012年3月19日 (月)

Bach-Cembalo

156119日、今日はベルリンの「Bach-Cembalo」について。このバッハ所有の楽器だったと伝わる(真偽不明)有名なチェンバロ、現在は弦を外され音が出せない状態。現代チェンバロ界の開祖たるランドフスカを始め多くのチェンバロ製作家がこの楽器を参考にして20世紀初頭に16f付きのモダンチェンバロを発展させていった事でも判るように多大な影響を与えた重要な楽器と言えるはず。しかし参考にしたのなら設計だけではなくその音色も聴きたかったはず・・・。100年前は果たして音が出る状態だったのだろうか知りたいところですが。

21_2昭和16年6月にエタ・ハーリッヒ=シュナイダー女史が初のチェンバロリサイタルを東京で開催した際のプログラムを見ると何故か古いチェンバロの写真が小さく掲載されており    拡大するとどうやらかのBach-Cembaloでは!(下記の写真と比較あれ) 何故この楽器の写真を使用したかは謎ながら、やはり当時から象徴的な楽器だと女史が考えていたのかも。しかし戦前にこの楽器が日本で紹介されていた資料はまだ私は拝見していないので多分女史が独逸から持ち込んできた写真なのでは。

1562_3私が実物を撮った写真をUPして比較しても鍵盤回りの装飾や下鍵盤のD1の鍵盤が少し白っぽい事でもこの楽器の写真と特定出来そう。しかし戦前の写真には弦が張ってあるのにご注目!少なくともある時期までこの楽器は音が出ていたのでは?と推測するも何分録音などの資料は見た記憶は無し・・・。どなたかご存じしょうか? 

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2012年3月18日 (日)

16fチェンバロとBach 続編

36218日、16fチェンバロとBachの関係を探る考察続編。独逸の製作家からの情報によると・・・。ベルリンの「Bach-Cembalo」はやはり伝承だけで確たる証拠は無いのでバッハ所有と断定は出来ないだろう。しかしバッハは16fチェンバロをケーテン時代(作者不明)とライプチヒのCafe Zimmermann(Z・Hildebrand作)では使用していたという記録があるとの事。18世紀ハンブルグやチューリンゲンの製作家だけでなく、17世紀イタリアでも16fチェンバロが作られていた(Cembaloneと呼ばれる低音用大型楽器だったそうな)など結構各地で作られていた様子だとの事。また元は16f付きチェンバロだったものが音域拡張のために後世8fタイプに改造された例も多々あるのでは?との事。(確かに異様に長い楽器はそうあっても不思議は無いのでは・・・) 久々にスポットが当たりつつある16fチェンバロ、20世紀初頭からモダンチェンバロの手本として多大な影響を与えた「Bach-cembalo」などのチューリンゲンモデルよりも、最近は現存楽器もあり研究が進んできているハンブルク系の楽器の復元が多い様子。ちなみにいわきの16fチェンバロはハンブルグのZell(Fleischer?)作の楽器(こちらで綺麗な蓋のみ見れます)をベースにした楽器ですし、CD録音で一躍話題をさらったAシュタイアー氏所有の楽器はブリュッセルの楽器博物館にある有名なHassのコピーとの事。16fチェンバロがさらなる注目を浴びる事を期待する次第。

2012年3月17日 (土)

16fチェンバロとBach

155217日、先日のいわきの16fチェンバロの見学会での楽器説明の際、「バッハも16f付きチェンバロを所有していた」と申し上げると参加の演奏家から「ベルリン楽器博物館にある有名なBach-Cembaloは本当にバッハの所有楽器だったの?」と質問あり。確かに資料では「バッハから息子(WFバッハ)へ、その後幾人もの所有者を経て19世紀末に博物館が入手」とあるもサインや記録は無くあくまで伝承によるだけですね(多分そうでは?という論調ではありますが)。また注目の16fレジスターは後世の改造で追加されたものという説からバッハの時代からあったという説までありこれまた現在も結論が確定していない様子。

1292しかし近年このBach-Cembaloの復元楽器が熱心な研究家により製作されており(勿論オリジナルは長年に渡り大幅な改造を加えられていたのであくまで推測の部分が大きいはずですが)、その楽器には16fがあるので現在は元から16fがあったという説が有力では?(18世紀ドイツの16f付きチェンバロでもチューリンゲンタイプとハンブルグタイプと云うようなモデルの違いがあるようですが・・・)  バッハがどんなチェンバロを弾いていたかは業界最大の関心事(?)のはず・・・、今後のさらなる研究を期待しております。

2012年3月16日 (金)

讃岐饂飩IN池袋

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16日、先日の四国旅でまたもや火が付いてしまった饂飩熱。そう言えば池袋のど真ん中(駅前ならぬ駅上か・・・)でも讃岐風饂飩屋があった事を思い出し移動の途中に寄り道。

5ここは青空の下で食べられる野外店。その解放感といったら本場顔負けかも?(田園風景ならぬコンクリートジャングルしか見えませんが・・・)。奇抜なロケーションは東京随一では(ビルの9階です)。

2012年3月15日 (木)

16fチェンバロ拝見

215日、噂の16fチェンバロを弾きに7名もの演奏家、楽器関係者の方々が福島県いわきを来訪。折角遠路お越しいただいたのならとこちらもチェンバロ2台、ポジティフオルガン1台の計3台を広い会場に用意し御一行をお出迎え。震災以来1年で実は合計でも数時間(!)程しか弾かれていなかった楽器陣、最初は深い眠りから中々起きてくれず心配するも久々にスポットが当たったお陰か徐々に目覚めてくれてホッ。見学後は小名浜漁港で鮟鱇鍋など海の幸で宴会、2次会までお付き合いし明け方帰京。東北といえいわきは東京からたった200km、実はそれ程遠くないのですよ。日本でも他では見れないヒストリカルな16fチェンバロ、弾きたい方は是非お声を掛けてくださいませ。

2012年3月14日 (水)

192歳再び洋館に登場

1014日、192歳の老ピアノが再び御近所の洋館に登場。東日本大震災復興支援コンサート(震災1年後もまだまだ継続中!)今回は丹野めぐみフォルテピアノリサイタル。1820年製のウィーン式ピアノを使いながらプログラムはフォーレ、チャイコフスキー、クララシューマンとまずは意表を突く前半に続き後半は正に楽器と同時代のベートーヴェンPfソナタ(変イ長調)。先日の独「鍵盤の達人」女史に引けを取らない多彩な鍵盤コントロールとペダル技が素晴らしく、またフォルテピアノならではの宝石のようなピアニッシモの音色を至近距離で存分に堪能。やはりこの会場はフォルテピアノとの相性が抜群でどんな繊細な音も後ろまで明確に聴こえてくれるのがありがたい!

2012年3月13日 (火)

吹雪

213日、早朝激しい吹雪の中高速で東へ移動。もう3月半ばというのにまだまだ春は遠いのか・・・。

5名古屋に入ると雪は上がり富士山が見える頃にはポカポカ陽気。しかし最近のガソリン値上げは異常では?高速SAでの給油は割高なので経済走行で頑張り東京まで戻ってから給油するも(ガス欠寸前で冷や汗モンでしたが)あまり値段が変わらなかった・・・(何故?) 昼に某音大に楽器を届けたついでにオリジナルのTangentenflugelを拝見。どうやらモーツァルトとの関係が深い楽器ではと欧州では改めて再評価されコンサートなどでも活躍し始めている様子。

2012年3月12日 (月)

「SANUKI」國饂飩巡礼続編

26「SANUKI」國饂飩巡礼旅の続編。まずは初訪問の讃岐西部観音寺の人気店へ。東部の「打ち立て饂飩で直球勝負!他は天婦羅だけ」という純文学系(?)のお店と違いこちらはネタは豊富でおでんも人気と間口が広い「大衆文学系」か? どれを注文するか迷うも具たっぷりな肉うどん小(300円)。

28西部の饂飩旅2軒目も地元人気店。やはり饂飩だけではなく定食メニュー充実の懐広いスタイル、それでも饂飩はハイレベルで腰のある麺が素晴らしい!醤油うどん大400円

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再び高松に戻り釜揚げで人気のお店へ。ここは「釜バター」なる濃ゆいメニューも評判ながらオーソドックスに釜たまを注文(小350円) 卵のフワフワ感と歯応えキリッとした麺の相性が素晴らしい!

9次は高松郊外の小さな大衆饂飩屋。横で麺を打っているところを見ながら自分で湯掻くセルフのお店。外部の人間が思い浮かべる讃岐饂飩の典型的なお店かも。かけうどん小160円。

10_2最後は大型大衆店。ここまで回ってやっと余裕が出来たので(笑)トッピングでゲゾ天でかけうどん小300円+天婦羅100円。大振りなげそ天噛み切れない程のボリュームながら揚げたてではないので味はイマイチか・・・。饂飩と同様揚げたてに当たるために時間調整が必要かも。 しかし本場讃岐の饂飩のレベルの高さに今回も仰天した次第。やはりこの味は讃岐に行かないと味わえないようですぞ!

湿度管理

712日、高松在住のチェンバロ奏者のお宅で楽器の御機嫌伺い。環境変化にも土地柄があるので1年を通して最適な楽器管理を維持するのは結構大変な様子。最近は季節外れの異常気象も結構あるので1年を通じて除湿機加湿器の二刀流が一番安心でしょうね。あとは湿温度計と睨めっこして環境変化に敏感になる事が大切では・・・。まもなく寒さが収まればやっと加湿器フル回転が終わるもののすぐに除湿機の出番が来るのでご用心!

2012年3月11日 (日)

鎮魂のヨハネ

1611日、東日本大震災より早1年、地震直後はまさかその後津波、原発事故、放射能汚染と被害がここまで拡大するとは想像も出来ませんでした。復興への道程は本当に険しいものの各人が一歩ずつ前進していくしかないのではと思います。今日はヨハネ受難曲公演本番、バッハの音楽と共に1年前の震災犠牲者への鎮魂の祈りを捧げた1日。

2012年3月10日 (土)

バッハとの関連性を探る・・・

810日、土佐でのリハ2日目。朝は高知城までノンビリ散策(残念ながら天守閣オープン前で手前まででしたが)。街を一望出来る高台まで短時間で散策出来る贅沢な散歩コースでした。高知でのヨハネ公演リハは2日目。段々まとまりつつある土佐ッぽBachの集中力が素晴らしい! リハの後は研究熱心な器楽隊(ただの食いしん坊と言うべきか・・・)と「バッハ演奏と太平洋沿岸の魚介類食文化との関連性」についての実地調査に誘われ3軒ものお店をハシゴ。調査の成果あって新鮮な魚介類と地酒を交えて接するとバッハの真髄に密接出来るかも(笑)という結論を得る事が出来ました!明日の公演、乞うご期待!

2012年3月 9日 (金)

土佐で熱いBach!

4_2朝の軽い(笑)寄り道を経て昼には土佐に到着。今は本州四国間の橋や高速で簡単に行き来出来る四国南端の街も昔は船に乗って四国の山道を越えて丸1日掛かる大移動でしたね。久々に昔のルートを使って「遠い高知」を実感。今日からこちらの公演のリハーサルにポジティフオルガンで参加。

「SANUKI」國上陸

19日、夜中に神戸より地中海豪華船クルーズならぬ瀬戸内海フェリー縦断に出発。どこぞの座礁した船とは違い客席で寝るにも枕や毛布は持参すべしという特別待遇で約4時間、明け方船は無事讃岐國へ到着。

4讃岐國に来たならばと朝食に饂飩巡りを敢行。まずは讃岐一早起きという高松郊外のお店(5時半開店とか)からスタート。まだ真っ暗の中でも結構繁盛しております。東京なら「旨い!」と驚く麺の腰とダシの味ながらこちらでは平均点の様子。一玉230円。

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2番目は中心街の大人気店に行列が出来ない時間ならと開店(こちらは6時)と共に飛び込むもはやりこちらも結構お客来てます。噂通りの腰のあるモチモチ麺とダシのバランスが素晴らしい!自分で麺を湯掻いてダシをタンクから注ぐ完全セルフのお店。一玉160円。

103番目は郊外の業界内有名店へ。ここはネギを自分でハサミで切ってトッピングするのが評判のスタイル。麺はあまり腰は無いものの(皆さんこのお店にはその方面には期待していない様子)お店のママさんのアクが強くそのマシンガントークを聞くだけで充分饂飩の味付けになっております。帰る時に最後まで手を振るママさんカワイイ!一玉200円。

13奥地に踏み入り店の個性はますますディープに・・・。次は看板どころか店には全く見えない農村地帯の手ごわい製麺所。知らない人ならお店だと絶対判らないはず。

15このお店、売るのは饂飩だけ。食べたければ店で麺を湯掻いてあげるけどドンブリや箸が持参すべしという凄いシステム。噂を聞いていたので丼箸持込みで注文するもダシも必要だったとは・・・。お店の方が親切に醤油をかけてくれましたがそうやら自宅の冷蔵庫から出してきた様子。恐るべし讃岐の製麺所。一玉70円。

23最後は讃岐國の西端の超有名店。ここは湯を沸かすのに昔ながらの薪を使っているそうな。口の中で踊る様な麺の歯応えといい香り高いダシといいもう極上の饂飩でした。

24このお店、まだ驚く事にオバチャンがこれまた昔のままで足で踏んで饂飩を打っておりました。道理で腰のある麺になるはず・・・。超辺鄙なロケーションながら開店と共に繁盛の様子。一玉200円。 今日の朝飯代5軒ハシゴながら〆て860円! 讃岐饂飩の奥深さを堪能した次第。朝食後は一般道を通ってノンビリ土佐へ。

2012年3月 8日 (木)

年貢納め終了

108日、恒例の年貢納めがやっと終了(やはり震災の影響で厳しい数字になっておりました)。久々に時間が出来たので御近所のまもなく閉店というお店2軒を訪問。ますは創業90年という老舗古書店、御主人急逝のため今月末までで閉店との事で日頃静かなお店も大入りの様子。いつもバッハの音楽が流れる中多彩な古書をノンビリ拝見出来る居心地の良い古書店が無くなるのは残念。

11次に向かったのは30年続いた中古LPレコード店。このデジタル時代にもアナログ一筋にコダワった経営方針で頑張っておられたものの82歳の店主ここらが潮時との事で惜しまれつつ閉店とか。ウチの膨大なLP盤の多くがこのお店でお世話いただいたはず・・・。

17私も思い出深いお店だけに今日は久々にエサ箱(レコード棚をこう呼んでましたね)漁りに精を出しLPレコードをまとめ買い。古楽復興ブームの立役者の貴重な録音を結構発見し大満足。

15_2今個人的に熱中しているタンゲンテンフリューゲルの貴重な録音LP(この希少楽器は録音が少ないのでは)を見つけ大興奮。実はこの鍵盤楽器こそモーツァルトの鍵盤曲を語る上には絶対外せない重要な存在だと思うのですが・・・。

16_2今回一番喜んだ収穫は、甲府のチェンバロコンクール審査員でも来日したノルウェーのチェンバロ奏者シェティル・ハクサンド氏の若かりし日の録音(Louis Marchandの作品集という渋い盤でしたが)。写真を見ても若い!その他オリジナル楽器での演奏を収録したLPを「大人買い」し大満足の1日。厄介な年貢納めも終わったので今夜遅くの便で久々に海外に出張の予定。乞うご期待!

2012年3月 7日 (水)

お宝消失・・・

107日、朝起きて日本有数の蓄音機やSP盤コレクターのお宅が全焼とのニュースにビックリ。某大な数のコレクションをお持ちの方ながら(ほとんどは他の場所で保管されているはず)、自宅にあった数十台の蓄音機と数千枚のSP盤が灰になった様子。多分自宅にはとっておきの銘器、名盤を選りすぐって置いておられたはず・・・。新聞記事でも燃えた中には1台数百万の蓄音機や1枚数十万のレコードがあったとの事。後世に受け渡すはずの歴史的財産が一瞬にして消えてしまったとはナントモ残念。

2012年3月 6日 (火)

双子

Photo6日、東京の西部方面にピアノチェンバロの調整で出動。八王子のあたりはまだあちこちに残雪が・・・。昼から晴れ上がり春のような陽気の中で雪を見るのは不思議なモンです。今日のチェンバロはウチの白フレンチと双子の楽器、しかし育ちや環境の違いなのか同じモデルの同じ素材ながらキャラクターが結構違うのが不思議。

2012年3月 5日 (月)

192歳まもなく出番

Photo5日、先日独「鍵盤の達人」女史の公演(大好評だったようですね)にお伴した192歳のピアノ、今度は3月14日(水)ホームグラウンドたる池袋の洋館での丹野めぐみフォルテピアノリサイタルに登場の予定。ホール公演とは違った手が届くような至近距離で味わうオリジナルのフォルテピアノの音色も格別では・・・。ベートーヴェンやシューマンの他にエッと驚く意外な作曲家の作品も登場の予定。詳しくはこちらをご覧あれ。

2012年3月 4日 (日)

戦時中にラジヲから聴こえたチェンバロの音色

Photo_64日、昨日に続きエタ・ハーリッヒ=シュナイダー女史の戦時中の活動を御紹介。昭和十六年来日まもなくの五月にチェンバロソロ(半音階的幻想曲など演奏した模様)でラジヲ初登場した女史は、その後七月には管弦楽と共演(バッハのCem協奏曲 イ長調?ニ長調?を演奏)、十一月には「音楽の捧げ物」(朝比奈隆と共演)など活発に放送出演しております。開戦後も昭和一八年の一月と五月にも女史のチェンバロ演奏が放送されており、終戦後も昭和二〇年一二月にピアノ演奏で出演した模様。戦時下にチェンバロによるバッハの演奏が何度もラジヲから全国に流れていたとは驚きですが、ナチス独逸の文化使節として来日していた女史が戦時中は同盟国の文化使節として演奏活動を続けながら、終戦後は亜米利加占領下にもかかわらず割と早くにラジヲに復帰した事もある意味大きな謎であります。

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2012年3月 3日 (土)

戦時下に響いたチェンバロの音色

Photo3日、日本チェンバロ界の開祖たるエタ・ハーリッヒ=シュナイダー女史の戦時中の日本での演奏活動を含む貴重な資料本がドイツから到着。来日まもなくの昭和十六年六月の東京での初のクラブサン獨奏會を手始めに七月の京阪神三カ所でのクラブサン獨奏會、再び東京でのクラブサン獨奏會と精力的に演奏会に出演した後、十月に新潟でピアノ・オルガン・クラヴィコードそれぞれの演奏会を開催(この時が日本初のクラヴィコードリサイタルか?)、そして翌昭和十七年一月には仙台の宮城女学校での演奏会にVn・Vc・Ftを交えてチェンバロとピアノで出演、この時はバッハの曲の他に尾高尚忠「Kleine suite fur cembalo」と坂本良隆「Sonatine fur cembalo」という日本人作曲のチェンバロ作品が演奏されたとの事。これが実は最も早い邦人チェンバロ作品なのかも・・・。女史の来日一年も経たないうちに日本の作曲家達と熱心な交流があった証拠では?(今後の研究課題ですね) また三月には静岡と沼津でのコンサートにもチェンバロで出演との事。実はナチスに追われて半亡命のような形での来日ながら戦時中でもナチス独逸音楽使節と云う事で東京だけでなく各地でチェンバロを携え演奏活動を行っていたという事には驚いた次第。

 

2012年3月 2日 (金)

タッチ変更

82日、昨日に続きいわきで独逸製チェンバロのメンテナンス。迫力ある16fのレジスターを含む4列を備えるこの巨大楽器、当初は独逸人仕様で相当タッチが重かったものの(ガタイのある欧米人なら重くても簡単に弾きこなせるのでしょうが・・・)、か弱き(?)大和撫子でも弾き易いようにと徐々に軽いタッチに改造しておりました。調整ネジが沢山付いているモダンチェンバロなら比較的簡単な作業もネジ無しのオリジナル楽器仕様なので悪戦苦闘の連続・・・、今回やっと弾き易いタッチにまとめる事が出来たようです。近々演奏家の方が多数試奏にお越しの予定なのでその成果を確かめられるはず。結果が楽しみ!

2012年3月 1日 (木)

グラっと来た!

01日、朝福島県のホールへ向かうも茨城県での地震で常磐道が通行止、しばらくSAで解除を待つも復旧の目処立たず待ち時間に給油していると「1年前もこんな中位の地震が続いた後にドーンと来たんですよ」とスタンドの人に言われ少々不安に・・・。海沿いの一般道も色々厄介そうなので(!)思い切って水戸から宇都宮・郡山を経ての150kmを超える高速大迂回でやっと目的地いわき入り(エライ遅刻でした)。

12ホールに入りチェンバロのメンテナンスをしていてもまたグラグラっと来るので思わずヘルメットを横に置いて作業続行(舞台は吊り物が多い!) 震災後殆んど出番が無い16fチェンバロ(先日のロビーコンサートが実に1年振りの舞台でした)、幸い楽器庫の環境が完璧なので御機嫌は麗しいもののやはりその豪快な音色を皆さんに聴いて頂けないのは何ともモッタイナイ!

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