西で日本チェンバロ史探索
8日、本邦の洋楽史の資料では日本有数の質量を誇るこちらの博物館を訪問し我が国のチェンバロの歴史の資料探索。ここは明治からの貴重な音楽資料が閲覧可能、今日は特別に日本最初(と現在では推測している)のチェンバロコンサート(昭和12年大阪)のプログラムや、戦前戦後に活躍したチェンバロ奏者エタ・ハーリッヒ= シュナイダー女史の関西初公演(昭和16年京阪神3公演)のプログラムやチケットなどチェンバロ史研究者にとっては垂涎の生資料を拝ませて頂きました。また戦前戦後のラジオ放送の番組資料も拝見すると、シュナイダー女史のチェンバロ演奏の放送が結構多いのにビックリ。昭和16年の番組欄を見ていると「ブロックフルート角淳クラヴィコード解坂本良隆」という表記を発見。これは戦前にもうリコーダーとクラヴィコードの演奏が放送されていたという事なのでは・・・。確かシュナイダー女史がチェンバロと一緒にクラヴィコードも日本に持参したという話を読んだ憶えがあるのでその楽器か、昭和8年にはドルメッチのクラヴィコード演奏のレコードが日本でも相当話題になっていたので戦前に誰かがクラヴィコードを海外から輸入していたのかも?色々な資料を拝見すると謎は増えるばかり、何か当時の情報をお持ちの方是非ご教授ください。
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超亀レス(偶然に発見)ですが、
角淳はオーボエが本職。海軍軍楽隊から東京放送管弦楽団を経て
東宝交響楽団(現・東京交響楽団)へ。
坂本良隆はヒンデミットの弟子の作曲家ですね。(昔の音楽之友社ポケットスコアの「未完成」に解説を書いていた)
投稿: 通りがかり | 2013年7月24日 (水) 11時33分