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2011年6月16日 (木)

クラブサン?チェムバロ?

S_12 16日、今日は昭和初期の日本でのCembaloの名称についての考察を。日本で最初のチェンバロ演奏であったと思われる昭和12年大阪での公演では「ハープシコード」という名称を使用。しかし昭和16年日本初の世界的なチェンバロ奏者シュナイダー女史の独奏会では独逸人によるバッハ中心のプログラムながら「クラブサン(チェムバロ)」という二重表記を使用。やはり当時日本で大人気だったランドフスカ女史の影響で仏国読みが一番流通していた様子。来日直後のシュナイダー女史の演奏記録を調べて見ると初のホールリサイタル(6月東京京阪神4か所)に続き7月にも東京でホールリサイタルを開催したようで(6月が大好評だったので追加公演だったのか?)、この公演は主催が武蔵野音樂学校報國團との事、シュナイダー女史は来日後すぐにこの音大でチェンバロ教師として教鞭を取っていた可能性も出てきました。彼女が大阪の相愛に赴任するのは同年9月らしいとの事で東西どちらの学校に先に赴任したのか興味深々。昭和12年の日本初と思われるチェンバロ公演に同志社女子の系列の共演者が参加しているので、もしかすると京都が我が国チェンバロレッスンの最初という可能性も捨てきれないのですが・・・。

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