浪速の看板教師
17日、我が国チェンバロ界の礎を築いたエタ・ハーリッヒ= シュナイダー女史の新たな資料を発見。昭和17年の大阪の相愛女子専門学校音楽科入学案内のパンフレットの中に、教師一覧表に1人だけ写真入りでシュナイダー女史が大きく紹介されてました。一部ネット上で彼女はチェンバロ奏者として赴任したような資料が出てましたが(もし本当なら日本で最初のチェンバロ教師となるのでは?と期待していたのですが・・・)残念ながらピアノ教師としての採用だった様子。 それでもナチス文化使節として来日した大物演奏家となれば学校側も看板教師として盛大に宣伝した模様。もしかすると昭和16年の京阪神3箇所でのチェンバロリサイタルが大評判を呼んだのかも・・・。 しかしこの年秋から大阪でシュナイダー女史がピアノ教師として着任した事ははっきりしましたが、同年11月に大阪のラジオ局でチェンバロ演奏を収録したのは何故なのか不思議です。その時期大阪で知られていないコンサートがあったのか? (学生にチェンバロを聴かせたかったのかも)
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