戦前ラジオでのチェンバロ演奏
15日、昭和の初期、戦前戦時中に意外にもラジオでチェンバロの演奏が結構頻繁に放送されていたという興味深い資料を入手しましたのでそのご紹介。昭和12年に我が国初のチェンバロ演奏を大阪放送局から放送したという資料を以前に紹介しましたが、その次は昭和16年にナチス文化使節として(内情は少々複雑なようですが)来日したチェンバロ奏者のシュナイダー女史が東京での初リサイタル(6月18日19日日本青年館)の前の5月30日にラジオ初登場。(曲目は半音階的幻想曲他) そして関西公演(7月3~5日京阪神3会場)の直後の7月13日にバッハチェンバロ協奏曲(東音管弦楽)を放送(東京関西の公演と同じ編成か?)。11月10日にバッハ「音楽の捧げ物」シュナイダー朝比奈隆他というプログラムを大阪より放送。これは多分関西の音大に教師として赴任した際に大阪にチェンバロも持って行ったという事では・・・。日本最初の音大チェンバロ教師として彼女が赴任したのは東京ではなく大阪の某音大では?という私の仮説の有力な証拠となるかも。(まだ検証不足ですが) 昭和18年1月17日にはチェンバロソロで信時潔日本民謡集他を演奏。5月5日チェンバロソロでバッハ「カプリチオ」他を演奏。戦時中に外人演奏家のラジオ出演が次々排除される中、ナチス文化使節という肩書のシュナイダー女史は比較的身分が優遇されていた様子。昭和8年頃からの我が国での第一次古楽ブームのお陰で戦時中もチェンバロの音色は人気があった証拠でもあるのでは・・・。
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