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2011年4月27日 (水)

昭和40年代のチェンバロ事情

Photo27日、日本でのチェンバロ黎明期の貴重な資料を入手。(今回は戦後編ですが) まずは昭和42年1月11日東京文化会館小ホールでのエタ・ハーリッヒ= シュナイダーチェンバロリサイタルのチラシと公演パンフレット。この日の曲目はゴールドベルグ変奏曲全曲。日本でのこの名曲の人気振りは戦前から伺い知れるもののチェンバロでの生演奏はまだ昭和42年でも中々聴けなかったのでは?興味深い事に、この公演には当初ノイペルト社の新開発のチェンバロを使用する予定ながら船便が遅れ結局MOMOSE製の楽器を使用することになった様子。チラシの裏には「その新開発のチェンバロがアンプ内蔵でその音量は従来の楽器と比較して格段に優れしかもその美しい音色は失われていないといわれている・・・。今後バロック音楽の演奏には盛んに使われるであろうと推測されている・・・」と期待を込めて宣伝しております。大阪での公演でアンプ内蔵のチェンバロを使用するも西日本の周波数に機械が合わず結局電気増幅無しで演奏したが音が小さく聴こえにくかったとのエピソードをどこかで拝見してましたが、もしかするとこの時の来日公演の事だったのかも。

Photo_2もうひとつは昭和43年5月9日の同じ東京文化での邦人演奏家のハープシコードリサイタルのチラシと公演プログラム。こちらはランドフスカモデルのプレイエルを使用。ランドフスカの高弟のボストヴィック氏による解説文の中で「18世紀末から約100年の間世の中から忘れ去られたハープシコードは学問的関心から1880年代に再認識され始めましたが・・・」とチェンバロ復興の歴史の原点を明確に示す文章が登場。この学説が昭和43年に一般向けに解説されていた事には感心するもその後この説がチェンバロ業界でもほとんど知られなくなってしまったのが不思議・・・。パンフレット巻末にはAtlaspiano製の国産ハープシコードの広告が。この時代もうチェンバロ人気が高まってきたのか一般向けに製造を開始していた様子。 楽器の明細の中で音域を7オクターブと表記しているのにはビックリ。当時は鍵盤数では無く16fから4fまでの再生音域を表記するのが習慣だったのか?

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