« 2011年3月 | トップページ | 2011年5月 »
29日、何と日本で最初のチェンバロ演奏と思われる貴重な資料を入手し興奮!(本当に日本最初なのかまだ確証は得ていませんが資料には我國初との表記あり) その本邦初のチェンバロの所有者は神戸在住のスイス人レネ・フランク氏(レニエとの表記もあり)。まずは昭和12年4月にラジオ放送に出演。(大阪NHKからの生放送か?) この記録は先輩研究家が発見した京都の某新聞の記事に掲載されていたのですが、これが初演奏とは実は思っていませんでした。この時の演奏はレネ・フランク氏(ハープシコード) エマヌエル・ムーラ氏(ヴィオラ・ダモーレ)の両氏。演奏曲はミツチェル・コレット曲のソナタイ長調とマール曲の組曲ニ長調。(マールはマレの事か?) 次に同年7月24日大阪瓦斯ビル公演場での「珍しい樂器 ハープシコード・ヴィオラダモーレ演奏會」というコンサートに出演。この記録は洋楽伝来史研究で有名なこちらの楽器博物館からご教授頂いた資料に掲載。こちらはレニ・フランク氏(ハープシコード) エマヌエル・ムーラ氏(ヴィオラ・ダモーレ) 加藤貞子女史(メゾソプラノ) 中瀬古和子嬢(ハープシコード伴奏 この方が日本で最初のチェンバロ演奏家なのかも?)の4人の演奏。曲目はハープシコード独奏でバッハのフランス風組曲の他、ダモーレ独奏や歌曲をハープシコード伴奏で演奏。 まだこのフランク氏の素性は調査出来ていないのですがハープシコードを初めて輸入したとなると(ヴィオラ・ダモーレも彼の所有だったとか)日本古楽器界の開祖と言うべき存在だったのでは。どなたか彼の資料お持ちでしたら是非ご一報ください。しかし我が地元神戸が日本のチェンバロ事始めの地だとは嬉しい限り。
28日、昨日の続きですが、昭和42年にエタ・ハーリッヒ= シュナイダーが日本に持ち込んだアンプ内蔵のモダンチェンバロ、一体どんな姿だったのか興味津々。そう言えばベルリンの博物館でも同様の楽器を見た事がありました。 (メーカー未確認ですが) 一見普通のモダンチェンバロのような姿ですが・・・。
やたら沢山あるつまみが実は音量ボリューム。全体の音量だけでなく各レジスターの音量を細かく調整出来るとはいかにも独逸らしい芸の細かさか。
内部を覗くと響板に2つもスピーカーが埋め込んである様子。これではエレキギターと一緒で生音は随分小さいはず。シュナイダー女史の大阪公演でアンプ不調で電気増幅無しの生音で演奏したら随分小さな音量だったというのも頷ける話では・・・。写真の楽器はカラヤンが実際に弾き振りで使ったモノだったとか。
27日、日本でのチェンバロ黎明期の貴重な資料を入手。(今回は戦後編ですが) まずは昭和42年1月11日東京文化会館小ホールでのエタ・ハーリッヒ= シュナイダーチェンバロリサイタルのチラシと公演パンフレット。この日の曲目はゴールドベルグ変奏曲全曲。日本でのこの名曲の人気振りは戦前から伺い知れるもののチェンバロでの生演奏はまだ昭和42年でも中々聴けなかったのでは?興味深い事に、この公演には当初ノイペルト社の新開発のチェンバロを使用する予定ながら船便が遅れ結局MOMOSE製の楽器を使用することになった様子。チラシの裏には「その新開発のチェンバロがアンプ内蔵でその音量は従来の楽器と比較して格段に優れしかもその美しい音色は失われていないといわれている・・・。今後バロック音楽の演奏には盛んに使われるであろうと推測されている・・・」と期待を込めて宣伝しております。大阪での公演でアンプ内蔵のチェンバロを使用するも西日本の周波数に機械が合わず結局電気増幅無しで演奏したが音が小さく聴こえにくかったとのエピソードをどこかで拝見してましたが、もしかするとこの時の来日公演の事だったのかも。
もうひとつは昭和43年5月9日の同じ東京文化での邦人演奏家のハープシコードリサイタルのチラシと公演プログラム。こちらはランドフスカモデルのプレイエルを使用。ランドフスカの高弟のボストヴィック氏による解説文の中で「18世紀末から約100年の間世の中から忘れ去られたハープシコードは学問的関心から1880年代に再認識され始めましたが・・・」とチェンバロ復興の歴史の原点を明確に示す文章が登場。この学説が昭和43年に一般向けに解説されていた事には感心するもその後この説がチェンバロ業界でもほとんど知られなくなってしまったのが不思議・・・。パンフレット巻末にはAtlaspiano製の国産ハープシコードの広告が。この時代もうチェンバロ人気が高まってきたのか一般向けに製造を開始していた様子。 楽器の明細の中で音域を7オクターブと表記しているのにはビックリ。当時は鍵盤数では無く16fから4fまでの再生音域を表記するのが習慣だったのか?
26日、大阪の某音大のホールでのリサイタルにチェンバロで出動。搬入前に付属楽器博物館を久々に訪問。ここは素晴らしい民族楽器のコレクションを中心に古楽器系も多数所有。鍵盤楽器も18世紀末の貴重な5オクターブ(英国式)やベートーヴェン時代のブロードウッドを始め演奏可能な状態の素晴らしいコレクションを展示(試奏OKというのが有難い!)。今回個人的な注目はショパンのマジョルカ島で弾いたピアノと同じ(だと思うのですが・・・) モデルのプレイエル、萩のシーボルトピアノと同じメーカーのスクエアピアノ(ほとんど同じモデルでは?)、手フイゴのレガール(コピーと言え珍しいのでは)など。また付属の資料室の文献も充実。今日は関西で初めてのチェンバロコンサート(?)の資料を膨大な文献から発見!昭和16年7月3日大阪朝日會館、4日京都朝日會館、5日神戸海員會館でエタ・ハーリッヒ= シュナイダーのリサイタルが開催との事。6月18日19日の東京日本青年館でのリサイタルと同内容をそのまま関西でも演奏した様子。文献の記述ではこの時期他にも名古屋や札幌でも公演を開いたとの記述があり、来日直後のシュナイダー女史はチェンバロを携えて日本縦断ツァーを敢行した模様。しかし博物館の方から昭和12年に日本でもうチェンバロのコンサートが開催されていたのではと伺いビックリ(まだ明細は不明ですが) シュナイダー女史の前にもうチェンバロを弾いていた方がいるのかも。
今日の公演は独逸在住の演奏家のリサイタル。初参上の会場は残響豊かな300席の古楽器向きのホールでチェンバロにも最適な音響。古楽に熱心な音大だけに今後に期待しております。
22日、川崎駅東口側の老舗ホールでのリハーサルにオルガンで出動。今日のホールは昨日と違って親切に搬入直後から照明全部付けて頂くもこの一ヶ月催しキャンセル続きとの事で舞台が冷え切っておりえらく寒い・・・。「舞台寒いですね」と舞台スタッフに申し上げるも「この時期もう空調は冷房に切り替えてますので暖房は出来ません」との事。お陰でいつまで経っても舞台は寒いまま(いくら弾いてもオルガンのピッチ微動だにせず・・・)、2日連続で温度変化が読みづらい現場となり苦労してます。空き時間に川崎駅周辺を散策。良く来る西口側は東京風のオシャレなエリアながら(震災被害甚大だった某ホール、外からは何も変化無く見えるのですが)東口側は活気あった頃の昭和の雰囲気を残す薄汚れた路地に老舗飲食店が結構残っておりどこも美味しそう。ホール横には伝説の野球場もあり外から拝見(ガラガラの外野席でのロッテ戦見たかった・・・、試合中に観客の麻雀や流しソーメンまで見れたそうな)。古き川崎を堪能した1日。
21日、合唱団のリハーサルにオルガンで出動。また冬に逆戻りしたような寒さの1日。初参上の某歌劇場(予定されていたホールが震災被害のため急遽会場変更となったそうな)に楽器を搬入するも舞台は作業灯のみで暗くてヒンヤリ。冷え切ったオルガンを暖めようにも照明暖房無しでは打つ手は無し・・・。舞台スタッフに「照明はいつ付くんでしょうか?」と伺うと「リハ開始直前には付けるから。それまでは節電!」との事。以前ならすぐに楽器のためにと舞台の照明を全部付けてもらっていたもののこのご時世では節電と言われればそんな贅沢は言えず仕舞。仕方無く寒い舞台で温度上昇を予想しながら山勘で調律する羽目に・・・。(約4Hzも下げて調律するも幸い想定通りに収まりホッ) 電力不足は我々の仕事にも相当影響直撃の様子。今月号の「ぶらあぼ」拝見すると開催出来ない公演を結構そのまま情報を掲載してしまってますね。相当数の公演が中止や延期になっているはずなのですが・・・。
20日、地震で損傷したオーディオラック組み直しのために機材を一旦バラして再び結線し直し。CD2台、DAT2台、アナログプレーヤーは1台ながらダブルアーム、それにカセットと7系統の再生機材、DAT2台、カセット、CD-Rと4系統の録音機材という欲張った機材陣の配線は複雑過ぎてまるで迷路。何とか組み直して各機材をテストするも数年振りに使ったカセット(20年位使っているのでは)何とか作動しホッ(流石に早送り巻き戻しは上手く作動せず)。CDとDATはまだ元気な様子。しかしこの組み合わせを始めたのは10年前、考えてみると今やカセットどころかDATで録音することも無くなってしまった時代、複雑な録音用配線も不要となり再生のみ多系統にすれば良いので配線は相当シンプルになった次第。(DATがこんなに早く表舞台から消えるとは・・・) 我が約半世紀前の年代物のスピーカーと真空管アンプで再生される音楽は例え最新録音のCDと言え何とも温か味のある音色で久々に聴いても心安らぎます。LP再生機材も早く直さなければ!
18日、先日の大地震、東京では揺れは大きかったものの意外にもCDや本が散乱しなかったと言う方が多い様子。私もスタジオにある山積みの本やCDが崩れた程度で数千枚の重いSP盤やLP盤が棚から落ちなかったのは幸いでした。16年前に体験した神戸での地震の際は直下型の突き上げる激しい揺れで部屋の物がほとんど吹き飛び、レコードや本もすべて散乱してしまったのですが、何故か割れやすいSP盤がほとんど被害無く(少し割れた程度、ただ全壊した仕事場の3000枚は持ち出せず全滅でしたが)、LP盤も無事(ビニール盤は割れないのが強みか)、しかし一番新しいCD盤がプラケースが多数破損、中身も飛び出し傷付いたりと一番被害甚大でした。今回の地震でも古いSP・LP盤は無傷ながらCDのみが散乱し結構な被害が出ました。古いSP盤などは御歳100歳を超える「お達者」な盤も珍しく無いものの、最近のCD盤などは果たして何歳まで生き残れるのか疑問ではありますね。(デジタル写真も同じかも)
16日、錦糸町での「ハレルヤ!」公演にオルガンで出動。最近大きな余震連発しているので「もし本番中に地震が来たら」などと相談していると案の定リハ中にグラグラ。しかし大した事は無くすぐにリハ再開するも後で聞くと結構東京でも揺れは大きかった様子。今日の会場は3月11日地震直後にコンサートを開催したという武勇伝を持つホール(あの混乱の中でも100人程のお客様が来られたそうですが)、確かに建物は堅牢な作りで先日の激しい揺れでもビクともしなかったそうな。今日は幸い本番中の揺れは無く無事コンサートは終了。
昼本番終了後久々に神保町の古本屋街を散策。今日の収穫は1928年録音というAnna Linde(Cem)~Welssmann指揮のバッハのチェンバロ協奏曲のSP2枚組。このLindeはランドフスカと同時期の奏者ながら明細は不明(どなたか御存じでしょうか?)
他にも昭和初期のバッハ演奏などのSP盤の解説パンフを数種類入手。 (1冊300円と安い!) CDはランドフスカの小品集、「なんじゃらほわーず」という昭和初期のコミックバンドの復刻CDなどを購入。そう言えばレコード買うのは地震後初めて、やっと物欲が起こるほど心に余裕が出来て来た証拠かも(部屋に散乱した本やCDはまだそのまま未整理なのですが・・・)
15日、出来たてホヤホヤのハマの北端のホールにフォルテピアノで出動。今日はお話を交えた演奏を特別に設置された至近距離の舞台上の席でも聴けるという贅沢なコンサート。初参上のこのホール、3月4日にオープンながらたった一週間目で先日の大地震に合うという苦難のスタートとなったものの幸い全く被害無しとの事。ここは残響豊かな100席という贅沢な作りは正に古楽向き!料金も安く鶴見の駅前(品川からたった18分とは近いもんです)と便利、これからは古楽界で重宝されるホールになるのではと期待しております。5月にもフォルテピアノ2台が登場する公演あります。是非お聴き逃し無く!
空き時間にホール周辺を散策するとこの街はフォルテピアノに縁があるのか立喰蕎麦屋の名前にビックリ。地元の方はこの名前から美味い蕎麦を連想出来るのでしょうか・・・。
14日、銀座の老舗ホールで本番。前2日も本番会場でリハと言う贅沢な待遇に演奏家も楽器も大喜び。まだ新しい設備のためか舞台上の環境が不安定ながらチェンバロはすっかり会場に馴染んでしまい本番では調律してから最後までピッチが微動もせずという御機嫌振り(満員近いお客様で結構環境変わったはずなのですが)。いつもこんな贅沢が出来れば仕事も楽なのですが・・・。 今日は業界内の裏話が色々伝わってくるも今回の原発事故問題の海外での反応は予想以上に凄まじいものだとか。(傍で暮す我々だけノンビリしているのではと思うほど) 海外演奏家の来日にも相当大きな影響を及ぼすのは必至の状勢、今後どれだけ来日中止の公演が発生するか考えるだけでも恐ろしい・・・。
12日、今週は最近出来た新しいホールの2連チャン。まずは新しくなった銀座の老舗ホールでのリハーサルにチェンバロで出動。333席と小ぶりながら天井も高く客席は適度な傾斜があり残響豊かと正に古楽向けの会場。音響技術を誇る会社のホールだけに細部まで色々な仕掛けがある様子。金曜日に出動予定の100席という同じく古楽向きのこちらのホールとの対決が楽しみ!
天下の銀座に来たならばとランチは相変わらず景気回復を願っての(笑)人気店訪問。(行列店がガラガラの今こそチャンスか) 今日は巨大な肉まんが名物というお店でお饅頭ランチ。コンビニで食べれば数百円で済むような品ながら(勿論味は本格的でしたが)4桁というお値段には驚くもののここは銀座!これでも庶民的なのかも・・・。
銀座で驚くのはいろんなモノの値段の高さ。コインパーキングが15分500円(1時間2000円!)という信じられない高額ながら昼から満杯というのにはビックリ。こちらはホールの駐車場に車が入らず(入っても高いそうな)銀座の安い駐車場を求めてウロウロ。ナンにしろ銀座恐るべし・・・。
2011年8月開催予定でした夏恒例の古楽の祭典「都留音楽祭」、残念ながら計画停電の影響が予想されるなど諸事情を考慮して今年は中止との連絡がありました。山梨での古楽コンクールといい海外演奏家の来日公演といい地震後は古楽系のイベントの中止がドミノ倒し状態・・・。ここで誰かが踏ん張らないと総崩れになってしまうかも。皆さんの奮起を期待しております。(もちろん私も色々仕掛けております!)
11日。西の某音大のチェンバロの御機嫌伺いに出動。楽器部屋はまだ肌寒く冬仕様の加湿器作動のままながら数日前の春の陽気のお陰か湿度は急上昇しておりチェンバロは湿気を吸い込みパンパンな状態、ピッチが20Hz近く上昇しており(!)何度も調律を繰り返す羽目に。この時期連日湿度が乱高下しているようで(数日前には湿度一桁という恐ろしい日もありましたね)楽器管理が難しい日々なので要注意。現代ピアノ並みに堅牢と思っていたモダンチェンバロが意外にもヒストリカルと同様に湿度の影響を受けておりやはりデリケートな構造だったと判明。ところで関西にいると地震も無く桜満開ののどかな日々ながら夕方東京に戻るといきなり強い余震連発の緊張した雰囲気に逆戻り。東西の震災への温度差は予想以上・・・。
10日、今日は西でのお仕事で各地を移動。桜満開の暖かな日曜となり阪神間の桜の名所はどこも大賑わいながら例年のようなドンチャン騒ぎな無くどこも静かな宴会の様子。それでも東京のような緊張感や悲壮感は無くやはり西は落ち着いた雰囲気か。(放射能の影響を全く心配しなくて良いという事がやはり東とは違って大きいかも)
仕事の合間に出先の道端で某シューベルト歌手と偶然ばったり。「何故ここにいるの・・・?」とお互い驚くもやはり関西は広いようで狭いという事か? 久々の地元と言う事で灘の酒蔵エリアの隠れ鰻屋でランチ。いつもは大行列のお店ながら店内はガラガラ。(日曜昼時なのに) やはり自粛ムードは全国的なのか・・・。被害の無かった地域では通常の消費まで自粛してしまうと経済的停滞が進みかえって復興支援が遅れてしまうのでは・・・。皆さん今こそ行列当たり前の敷居の高かったお店の訪問のチャンスですぞ!
6日、久々にスタジオにフォルテピアノの音色が!今日は4月15日の横浜でのフォルテピアノ公演のリハーサル。今回の公演会場はこの3月5日にオープンしたばかりという真新しい音楽ホール、残響豊かな空間でたった100席という何とも贅沢な正に古楽器向けのホールとか。(是非ホールの写真ご覧あれ) 鶴見駅すぐとの事で横浜というよりは川崎のすぐ隣、品川駅からJRで18分と東京からも便利な様子。(京急鶴見駅からもすぐとか) 2回シリーズ(4月15日と5月19日)の初回はワルターモデルが登場の予定。 4月の後半には同会場でこんな公演もあるとの事、100席という他には殆んど無い古楽向きの会場なので今後は古楽器公演のメッカとなるのかも・・・。乞うご期待!
3日、両国での某合唱団の「ハレルヤ!」公演のリハにオルガンで出動。昨日の暖かさでもう春本番かと事前に楽器も「春仕様」で準備するも厳しい冷え込みとおまけにリハ会場が節電のために暖房無しとの事で楽器の温め不要との読みがハズレて慌てて軌道修正。
楽器の御機嫌を伺っていると何とか数時間で調律も安定。後は空き時間となり両国周辺をノンビリ散策。この辺りは忠臣蔵で有名な吉良邸跡や相撲部屋などがありお江戸風情漂う一帯。稽古中のマワシ姿や浴衣姿の力士があちこちで見れるのは隠れ相撲ファンにとっては嬉しい一時。
折角両国に来たのでと博物館と国技館に行くもどちらも震災の影響で臨時休業とは残念。寒の戻りで桜も開花が進まず花見にはまだ早い・・・。生憎日曜日で開いているお店も少なくちょっと寂しい両国観光の1日。
最近のコメント