日本古楽界の源流を探る(12)
6日、昭和初期の日本音楽界での古楽ブームを探るシリーズ、 また再会です。先日神保町の古書店の片隅で大量に発見した戦前のレコード音楽月刊誌「Disques」、未見の古い号が入手出来たので少し時代を遡り今回は昭和7年(1932年)10月号を検証。巻頭にはコミカルなジャズ用楽器販売の広告が登場。(片隅には「ジャズタイムス」というジャズ月刊誌の広告も、どんな内容かこちらも興味深々) 蓄音器の広告はまだ電蓄よりもゼンマイ式の旧式蓄音器が優勢。グラビア写真と冒頭記事はヨーゼフ・シゲツテイのベートーヴェンのVn協奏曲ニ長調(Bワルター指揮ブリティツシュ交響管弦楽団)の特集。次にA・シュナーベルのベートーヴェンのピアノソナタの紹介。その次に小さく「海外ニュース、バッハ頒布會の設立」という記事が。「英国コロンビア會社はバッハの四十八の前奏曲と遁走曲」の全曲レコードの頒布會を設立。楽器は其の時代のクラヴィコードを用ひ、「コロンビア音楽史」で御馴染のアーノルド・ドルメツシュが演奏する。ピアノ音楽上の一大高峰と云はれるこの「平均率」の全曲レコード化はバッハ愛好家の見逃す事の出来ぬ一大ニュースである。(中略) 會員は例により五百名を必要とするから我が日本よりの多大な賛歌を希望してゐる由。(後略)」 クラヴィコードというこの時代の日本では全く未知の楽器(写真や絵も見た事が無かったのでは?)の演奏に愛好家達がここまで興味を持っているとは驚きです。
そして注目の特集はニコラス・スロオニムスキイ氏による「ワンダ・ランドフスカの事ども」という和訳記事。 冒頭のチェムバロに対する思いを込めた詩を手始めにパリ郊外のサン・ルー・ラ・フォレ(聖狼林という和訳が面白い)にあるランドフスカの古典音楽学校(1925年創立)の紹介や彼女の偉大なる古楽復興の功績や学校での演奏の様子、現代作曲家へ与えた影響(ファリャやプーランクの作品などを紹介)、最後にレコード紹介(スカルラッティ、クウプラン、ダクヰン、バッハ、モオツアルト、ラモオ、ヘンデルなどの作品を演奏した盤六枚)と続きます。 この時ランドフスカはまだ有名なゴールドベルグ変奏曲のクラヴサンによる全曲演奏(1933年)を行っていないのにもう日本の愛好家の間では彼女のクラヴサン演奏は評判を取っていた様子。もしかするとこれが日本では相当早い彼女の詳しい紹介記事なのでは? 仏蘭西の古楽復興とあまり時間差無く我が国でも古楽器が紹介されているとは先人達の見識の高さには脱帽です。
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