日本古楽界の源流を探る(6)
昭和初期のレコード雑誌の記事から当時の古楽ブームを読み取るシリーズ、今回は昭和12年(1937年)7月号の洋楽レコード専門雑誌「Disques」を検証。まずは表示のヴィオラ・ダ・ガンバを弾く婦人の姿には驚嘆!チェロのような姿ながらF字孔ではなくC字孔というのははっきり解りますので当時「これは何という楽器?」というように古楽器への関心が高まっていたのか? もしかすると有名なランドフスカが弾くクラヴサンやドルメッチが弾くクラヴィコードと同時代の弦楽器という知識はある程度広まっていたのかも・・・。
この号の冒頭に編集長自ら「今やディスク界は正にその黄金時代を現出してゐます。毎月各社より発売される洋楽レコードは次第にその数を増し、今日ビクター、コロンビア、ポリドール、テレフンケンの四社より発売される洋楽レコードは合わせますと、その数実に百五十枚、時とすると二百枚近くの先ずに上る事も珍しくありません・・・」と声高らかにレコード音楽全盛時代を宣言しておられます。そろそろキナ臭い戦争の気配を感じながらもまだ存分に西洋音楽を堪能している日本の愛好家達の姿が垣間見れる紙面は多数のレコード情報記事で溢れており活気に満ちておりますね。この時代が戦前では一番充実していたのでは?
レコード紹介記事の冒頭は「ヘンデルのConcerti grossi Op.6全曲」の特集。「伊太利のヴァイオリン大家、アルカンジェロコレルリが、死ぬ前年(1712年)に出版したコンチェルトグロッソと呼ぶ曲は、少数の独奏楽器が競奏し、他の楽器の群がこれに伴奏をつけて行く形式のものであって、これはコレルリによって完成され、以後彼のものが標準となって各国に非常に多く行はれたものであつた・・・」との紹介から始まる解説は楽譜による演奏上の専門的な解説も交えて7ページの大特集。当時のレコード愛好家はその盤を深く理解するためには音楽的な背景や理論等を正確に知ることが当然と思われていた様子が伺えます。(現代の愛好家も見習えば・・・と云いたくなりますが) 演奏はせずにレコード鑑賞のみという愛好家がほとんどのはずながらこの高レベルの解説とはこの時代のレベルの高さに脱帽です。
私が一番驚いたのがこの記事。「ワンダ・ランドフスカ塾便り」として彼女のパリ郊外の音楽私塾を詳しく紹介されていますが、まずは彼女のリサイタル情報の凄さには驚かされます。ゴールドベルヒ変奏曲から始まりピアノとクラヴィコードによるモーツァルトのソナタ、シャムボニエール・ラモー・クープランのフレンチプログラム、ピアノとクラヴサンによるモーツァルトのソナタ、クラヴサンによるバッハ平均律、ピアノによるモーツァルトソナタなど、クラヴサンだけではなくピアノやクラヴィコード(!)を駆使してバロックの銘曲を積極的に紹介していた様子が伺えます。また1年を通じてのレッスン内容や授業料などの明細も紹介(レッスンにはピアノ、クラヴサンの他にもクラヴィコードを使用と明記されているのには驚かされますが) 最後に申し込みの電話番号まであるのは日本からのレッスン希望者を期待しての記事では?と思えるほど熱心な紹介文です。締めくくりに「春はサン・リュウ・ラ・フォレの日曜日に午後、更に貴方達を連れて行く(と前書きして) その庭園では、緑々した芝生のはづれに、菩提樹の並木道が立ちならび、忘却的な、静けさに満ちた環境は、我々の心のかてである「ゴールドベルヒ変奏曲」ラモーやクウプランの組曲、バッハの十五のプレリュードとフーガ等、最も人間的なそして音楽が持つ最上の喜悦を味はふのに適している。ワンダ・ランドフスカがピアノに就くモーツァルトに捧げられた六回の會を含むこの夏のサン・リュウ・ラ・フォレの演奏會の眞賣は、理想的な解釈である。-と結んでゐる。」との文章でランドフスカの私塾の魅力を語っています。この記事を読んで巴里郊外の私塾を訪問した日本人が果たしているのでしょうか?
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