日本古楽界の源流を探る(8)
昭和初期に早くも起こっていた(?)古楽ブームを検証するシリーズ、今回は昭和12年(1937年)12月号の洋楽レコード音楽雑誌「Disques」を拝見。この時代になると戦争のキナ臭い気配が誌面に少し現れはじめ、「日独伊防共協定成立!」という文句がレコード会社の広告のトップを飾り、軍歌やナチス賛歌のレコードが発売されていますが、まだ西洋音楽(特に米英)への制限はあまり感じられません(少し仏国音楽の割合が減ってきたような気はしますが・・・)
この号も冒頭特集はバッハ。「バッハの管弦楽組曲 ブッシュ等による~」(中村善吉) 管弦楽組曲全曲の録音はブランデン全曲録音以来の偉業であるとの紹介から始まり、この曲の作曲年の推測(シュピッタ説、シュワイツァー説、テリー説など当時の学説を並べて紹介)や、組曲の成立におけるリュリの功績(十七世紀仏蘭西に於ける歌劇の大家と紹介)などを交えて丁寧に紹介。この時代、レコードを聴くには相当高度な音楽的知識を持っていなければという風潮だったのでしょう。(演奏家にとってナント幸せな時代!) 作曲家一人にスポットを当ててその生涯や推薦盤を紹介する「ディスク蒐集講座」第三回は「バッハ」其の二。まずはオルガン曲の紹介。冒頭から「バッハの作品中、オルガン曲は最も重要なものであり・・・」という熱い紹介から始まり、「バッハのオルガン曲のレコードは英佛等の型録には、デュプレ、ブレエ、ヴィドール等の大家によるレコードが相当多いにも拘はらず、現在我が国に於いて求められ得るものは甚だ少なく、僅か十数枚を拾い得るに過ぎない。これはオルガン音楽そのものよりも、楽器に馴染の薄いことも一の大きな原因であらう」とのボヤキも。バッハの権威シュバイツァーの紹介の中には「シュワイツァーがバッハの一大権威者であることは、改めて言ふまでもなく、彼はバッハをバッハの時代と同様の状態で表現すること、換言すればバッハをそのまま再現することにあることは、彼のバッハ傳中「オルガン作品の演奏」その他の各章に於いて明らかである」と現在の古楽復興運動の真髄を言い表した表現も登場。
次のクラフィア曲の紹介では冒頭に「独逸のKlavierなる語は、現今では大体ピアノフォルテと同義にもちいられてゐるが、然しピアノの前身である有鍵楽器の総名として、何れの種類にも適用するものであり、バッハの作品に在つては、主としてクラヴィコルドとクラヴィチェムバロの二種を指すものと考へて差支ない。勿論不完全であつたが、今日のピアノたるハムマークラフィアはバッハの後年に存在した。老バッハがフレデリク大王を訪れた際に、ジルベルマン製のピアノを王は彼に示したが、特に彼の興味を引くには足りなかったと見えて、その鍵盤の為めの作品というものはなかった。又単にチェムバロ或はクラヴサン、又はハープシコードと言ふも、クラビチェムバロに同である」という文章が登場。
次にクラヴィコードの紹介では「クラヴィコルドが持つところのあの空虚な響、クラヴサンが弦を鍵盤のメカニズムによつて羽軸ではじくのとは異つて、ハムマーで叩くことからの効果、そして又’Pebung'と呼ばれるこの特色ある表音法の結果は、恐らく古い音楽の中でも最も精神的な、又最も表情的なものに値して、一番理想的なmedieumであつたらうと考へられる。殊に複雑した多声部音楽、そして「平均率クラフィア曲集」に於けるが如き声部が絶えず互に交叉し相織り為すやうなフィギアにあつては、一つの和絃中のある音を強調する力を有することは非常に必要なことであらうから。バッハはこの楽器を甚だ愛して居たと言われる。そして「平均率」は明かにこの楽器の為めのものである。然しながら音の強く明朗であるチェムバロに対しても、バッハは同様の愛情を持つて居たものであつて、かの「ゴールドベルヒの變奏曲」や「伊太利風の協奏曲」の如きは、二個の鍵盤を持つチェムバロの為めの作品であり、一声部から他声部への転移殆ど常に鍵盤の移動を意味するもので、両手の各部は殆ど全く相互に独立して、二つの異なつた音質の交替を求めている」とあり、まだ誰も見たことがない楽器に対してこれだけ愛情溢れる紹介が出来る当時の日本人の知識欲の高さには脱帽。
バッハのクラフィア曲の紹介ではまず「平均率クラフィア曲集」(この当時平均律という表記では無い)。レコードではEフィシャーのピアノ演奏を絶賛、ドルメッチのクラヴィコード演奏の盤は「不幸にして私はあの不完全(?)な楽器と、一見たどたどしい演奏とからは、大した感激が得られない。或は大きなピアノが十二分に音を発揮したこの曲を奏するのに聴き慣れ、耳が豪無しになつてしまつた為めであるかもしれない。歴史的興味はあるが、観賞用としてはどうかと考へられる」と正直な感想も。次に「半音階的幻想曲と遁走曲ニ短調」。この曲もEフィシャー、ドルメッチ、ランドフスカの三者を比較してランドフスカに軍配を上げてます。其の他色々な鍵盤曲を紹介する中、「ゴールドベルヒ変奏曲は最も難曲であり、大曲でもあつて、その種の形式で残された音楽中最大の作品であることは疑いない」と最大級の賛辞を送ってます。まだランドフスカの演奏しか録音されていない時代にもうこの曲は神格化されていた様子。
クラフィア曲の次は「音楽の捧物 其の他」という不思議な分類で「捧物」と「フウガの技法」を紹介。最後の宗教曲の紹介ではこの当時まだ十曲程度のカンタータの録音しかなかった様子。マタイ受難曲とロ短調ミサを二大名曲と評しているもまだマタイは完全版の録音がなく、唯一ロ短調ミサが全曲録音を聴けたのでこの曲が当時バッハの最高峰として君臨していたようです。
この雑誌はレコード評の合間に多彩な文章が掲載されているのですが、この号ではヴァイオリン製作家のストラディバリーの紹介(鈴木喜久雄)が登場。エルマン来朝時に筆者が彼の銘器を修繕をしたなどというエピソードもあり、当時にはもう日本でもストラディバリーという名前が有名だった様子。
今月発売のレコード紹介では、ランドフスカのモーツァルトピアノ協奏曲ニ長調の盤が登場。この時代クラヴサンだけではなくピアノ演奏も評価されていた様子。バロック物は今月は不作、ダンス音楽では「前号特報でメムフイスで不慮の死を遂げた「ブルーズの女王又は女皇」ベッシー・スミスのレコードは~」と日本でも彼女の急死が話題になっていたのには驚き。他にもルイ・アームストロング、黒デブ・ウオラー(本当にこの名前で売り出していたのですね)、テッディ・ウヰルソン、Bホリディー、Lヤング、ベイシーやエリントンなど1930年代のジャズスターの盤が結構日本で入手可能だったとはビックリ。まだ英米音楽の排除は始まっていなかったのでしょう。
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