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29日、ご近所のサロンでのリハーサルに白フレンチで出動。ここはウチと違って裏通りと言いながら交通量も多く車が停め難い・・・、案の定楽器組立中に仕事熱心な駐禁取締員に見つかり危うく切符切られる寸前「来てますよ!」と教えて頂き間一髪セーフ(汗)。 リハの合間に古書店を冷やかすと昭和31年(1956年)刊の立派な演奏家名鑑を発見。この時代の世界中の演奏家(個人団体取り交ぜて約2500?)を克明に紹介している貴重な資料でチェンバロ・オルガン奏者だけで約70名(!)も掲載と凄い情報量、文中で当時のチェンバロ界の代表的な演奏家として紹介されているのは筆頭はやはりランドフスカ、他には米国のラルフ・カークパトリックとシルヴィア・マーロウの2人の新人、ウィーン出のアリス・エーラースとイエラ・ペッスルの2人の女流演奏家のたった5人。その他大勢の中で最後の方に小さく(アイウエオ順なので(笑))「レオンハルト(グスタフ) オランダのチェンバロ奏者、ウィーン音楽アカデミー教授。バロック音楽の権威・・・」と28歳の新人の紹介を発見。(それにしてもこんな若手にバロック音楽の権威という称号をもう与えているなんて・・・、そして日本でこの時代に紹介されているなんて!) 54年前の名鑑に掲載されながらまだ現役という演奏家は他にはいないのでは?(しばらく生存演奏家捜しで楽しめそう)
追伸 まだ名鑑生存者捜しを始めたばかりなのですが、デームスやギトリスなどを発見、逆にグールドが載っていないのにはビックリ!
27日、都心の超高層ビル34階にあるホールでのヴァイオリンリサイタルにジャーマンで出動。ハイテクビルだけに楽器搬入も複雑怪奇、警備が厳しい余り演奏家共々ビル内で遭難寸前になりヒヤリ・・・。それでもガラス張りの舞台から見える高度約150mからの景色は最高。(お客様もその絶景を美味しいワインやシャンパンと共に楽しまれていた様子)
景色だけではなく音響も硬いガラスの反響のお陰で中々のモノ。昨日の伊国伊達男の銘器ストラドに続き今日はさらに100年近く古い銘器Amati(1622年)のヴァイオリンが登場と連日贅沢なお相手が続き嬉しい限り。この天空浮かぶホール、演奏家の背景に見える東京タワーがこんなに低く見えますよ!
26日、前夜雨振る東京を出発し西へ移動。明け方久々に浜名湖で路上朝焼け鑑賞。きょうは平日なのでまだ高速パーキングはガラガラ。(最近は週末は満杯で停められない事多し)
今日は朝から名古屋で仕事のはずがドタキャンとなり午前中は珍しくOFF.それならばと早朝から卸売市場の場内食堂に出撃しまずは海鮮ちらし丼(750円!)。場所が場所だけにネタ山盛りの上に新鮮で食べ応え充分。 (周辺のお客様は仕事が終わった!とばかりに朝から美味しそうにお酒飲んでおられる市場の関係者ばかりですが)
次は大須観音周辺を散策。これは名古屋の浅草ですね。演芸場もあり周辺一帯どこも庶民的ながら若者向けのセコハン店の楽器コーナーを覗くとその充実振りにビックリ。思わず最新式のチューナー購入しそうになりましたが。(今や1000円程度で高性能なモノが買えるのですね)
昼は街中の老舗鰻店へ。評判の鰻はソフトで絶妙の焼き具合ながら何しろ量が凄い!上部で2段重ねなのに御飯の中にもう1段と合計3段重ね。流石老舗の貫禄と感心するも店舗も相当年季が入っておりトイレに入ってビックリ。今時トイレットペーパーではなく千代紙を置いてました・・・(見たのは40年振りかも?)
今日は伊達男率いる伊国水都古楽楽団の名古屋公演にジャーマンで出動。伊達男氏今日も銘器ストラドを操り鮮烈な「四季」を披露。今日のホール、音響も素晴らしいながら舞台の環境が完璧で休憩中もほとんど調律いらず・・・。今日の名古屋が暖かかったお陰か?間もなく乾燥期突入ですぞ!
25日、今日は水もしたたる(?)美女3人組のリハーサル。マスコミを賑わせているデビューCDの発売記念公演、バロックからピアソラまでの多彩なプログラムを凄腕3人がどう料理するか乞うご期待!(当日は豪快な鳴りっぷりを誇るK・ヒルのフレンチが久々にステージに登場の予定) 昨日入手した戦前のクラヴィコード演奏の盤を前に「果たして当時の日本人はクラヴィコードをどの程度しっていたのか?」と気になり早速資料を当たってみると、昭和24年の楽器解説本には左のような紹介図を掲載(それ以前の解説本には文章での紹介ばかり?)、他にも昭和16年独逸から来日したE・H・シュナイダー女史がチェンバロと共にクラヴィコードも日本に持ち込んだという説もあるので60年以上前にその音色を生で聴いた日本人がいたのかも・・・。これまた調査が待たれる案件ですね。誰か日本でのクラヴィコード普及の歴史を御存じの方いらっしゃいましたら是非ご教授いただけますでしょうか。
24日、 都心での仕事のついでに久々に神保町に寄り道。まずはSP盤漁りで老舗のFレコードへ。いきなりアーウィン・ボドキィというクラヴィコード奏者によるクーナウ作品の演奏盤を発見。この時代ドルメッチ以外にクラヴィコード演奏の録音が発表されていたとは驚きでした。他にもポーリーヌ・オーベールという仏人クラヴサン奏者のジャン・ニコラ・ジュフロフとアントラーヌ・ドルネルの作品を演奏という盤もゲット(ランドフスカ以外のクラヴサン奏者はこの時代まだ珍しいのでは・・・)
このお店でSP盤の他にレコード付属の解説パンフレットも多数入手(どれも300円とはお買い得でした)。入手したランドフスカのスカルラッティ盤のパンフにはレアな演奏風景も。レコード漁りの次は御近所の音楽書専門K書店をこちらも久々に訪問。ここで先日よりその情報量の凄さに圧倒されていた昭和初期のレコード音楽雑誌「Disques」を大量に発見。昭和初期の数年間のバックナンバーが結構揃っている中で興味のある号だけ抜き取るのは気が引けるのですが・・・とお店の方に申し上げるも「見つけた時に買わないと今後ますます入手困難になりますよ!欲しい方に嫁入りするのが本にとっても幸せですよ」とのお言葉を頂き遠慮無く(笑)十数冊を選んで購入。これでまた昭和初期の古楽ブームの検証が進められますのでご期待ください!他には1950年代後半にモーツァルトが使用していたピアノをノイペルト社に復元させたというフォルテピアノ界の先駆者アリス・ヘクシュ(Pf)の演奏が聴ける復刻CD(残念ながらこの中ではフォルテピアノは使っていないのですが)や、昭和初期に暗躍したことで有名な国際スパイ「リヒャルト・ゾルゲ」の伝記(日本で最初にチェンバロを演奏したと思われるエタ・ハーリッヒ・シュナイダーが愛人だったという説にはビックリでしたが)などを入手。日本古楽界の源流を探る作業、まだまだ情報収集に励まないと・・・。
22日、明日から来日公演がスタートの伊国水都古楽オーケストラの宿へ荷物をお届けすると顔馴染みのメンバーとロビーでバッタリ、「やあ友よ!」と相変わらず陽気なメンバー。午前中は宝塚でハイテクピアノを調律。中身は電子機器満載で同じピアノながらフォルテピアノとは対極の楽器だなあ。昼は某ホール近くの御贔屓の隠れ家蕎麦屋を久々に訪問し名物天ザルを注文、蕎麦が運ばれてくるとお店の大将が席までやってきてニヤニヤしながらいきなり椀を突き出し「蕎麦チョウダイ」。「ハ~?」と意味判らずキョトンとしていると「ここに蕎麦入れて!」。どうやらツユを付けずに塩を付けて食べる方法を伝授しようとされていた様子。(ここは大将も女将さんもアクが強い!) 早速言われるままに塩だけの蕎麦を試すもこれが美味い!打ち立てに拘る蕎麦の味に余程自信がある様子。食べる前に恒例の写真撮影をしようとすると大将が「まだ天婦羅あるんやで!」 ここの天婦羅、量が多すぎて皿に乗らず揚げたてを途中で追加してくれるシステム。そして蕎麦好きの最後のお楽しみ蕎麦湯がこれまたトロトロ濃厚で絶品!久々に関西の蕎麦を堪能し満腹で東へ移動。
21日、今日も京都の某ホールのガラコンサートにフォルテピアノで出動、昨日に続き紅葉狩りの観光客で大渋滞必至なので夜明けと共に京都入り、 ホールが開くまで仕方無く時間調整で(笑)毎月21日開催の東寺「弘法市」へ。東寺の境内に並ぶ多数の骨董屋を早朝から冷やかすも今日の収穫は戦前の落語のSPレコード2枚のみ(1枚300円!)。
早朝の骨董捜しの後は定刻通り9時にホール入り。今日はオーケストラやパイプオルガン、金管アンサンブルなど多数出演のガラコンサートのスペシャルゲストとして伊国伊達男とフォルテピアノのコンビでモーツァルトのVnソナタを演奏。6時間を超えるマラソンコンサートということでフォルテピアノの出番は真ん中で楽器転換のための休憩無し、そのため演奏3時間前にピアノ庫でフォルテピアノを調律(これが唯一の調律でした)、演奏直前にピアノ庫からいきなり舞台へ運び入れすぐに本番というまるで現代ピアノ並みの特別待遇・・・。(まさかフォルテピアノでこんなタイトなスケジュールを組まれるとは・・・)幸い楽器庫と舞台の環境がそれほど違っていなかったので調律の賞味期限が切れず助かった!終演後京都市内の大渋滞に巻き込まれて深夜帰宅。行楽シーズンの京都の渋滞はハンパではないと思い知りました。ヤレヤレ。
16日、最近縁あって昭和16年6月18日19日に東京で開催された(会場不明)独逸人チェンバロ奏者エタ・ハーリッヒ・シュナイダー女史のチェンバロ演奏会のプログラムを入手。日独親善のためドイツ国音楽使節としてチェンバロとクラヴィコードを伴って来日したシュナイダー女史の2夜連続のチェンバロ演奏会は、ヘルムート・フェルマー指揮・東京音楽学校管弦楽部との共演で、バッハを中心としたソロとアンサンブルのプログラム。シュナイダー女史は昭和16年5月14日来日、昭和24年秋まで日本に滞在したとのことですので、もしかするとこれが日本最初のチェンバロコンサートかも?とも思うのですが・・・(どなたか御存じでしょうか?)
チェンバロはメンデラー・シュトラムというミュンヘンで製作された楽器を使用。(ノイペルトだったとの資料を見たことがあったのですが違った様子) このメーカー、当時独逸でプレイエル社のランドフスカモデルのチェンバロに似た楽器を製作していた様子。プログラムの中には残念ながら楽器の全景写真は無し、それとは別に手裏剣マークがあるチェンバロのアップが・・・。これは正にかの有名なバッハチェンバロではないですか!もうこの時代日本でもその姿が紹介されていたとは驚きでした(解説にはそのことは何も触れていないのですが) 後日じっくりこの貴重な資料を紹介する予定。
14日、福島県いわきでのチェンバロ講座に調律師兼楽器解説で参加。地元の方が4回に分けて違う演奏家に個人レッスンを受けるというシリーズの第1回、今回の講師は辰巳美納子さん。このシリーズ受講生受付開始後すぐに満員となったそうで、チェンバロ初体験の方がほとんどながらいわきでのチェンバロ熱相当なものの様子。レッスンの後は講師によるミニリサイタル。折角なので贅沢しましょうとホールご自慢の16付きジャーマンを18世紀調律、1段ジャーマンを17世紀調律にしての2台チェンバロの豪華リレーで多彩なプログラムを披露。終演後はお客様にチェンバロを自由に弾いてもらえるコーナーもあり今日1日で地元の方にチェンバロを存分に堪能していただけたのでは。次回の講座は1月22日開催、講師は崎川晶子さんです。
13日、昨日に続き横浜郊外のホールに出動。傾斜ある300席のホールは残響も豊かで正に古楽向き(ホールスタッフによるとチェンバロなど古楽器が滅多に来ないのが残念との事) ただ今日は舞台上が厳しい乾燥で楽器が少々御機嫌斜め・・・(イヤハヤピッチの下がること!) 何とか楽器をナダメ透かして本番は無事終了。帰りは今日も首都高でハマの中心街を通過、これほどお上から「期間中は近寄るな!」と宣伝してればかえって車少ないのでは?と思ったのは甘かった! 要人通過のためか途中で数十分もいきなり通行止めを喰らい立ち往生。やはり近付くべきでは無かった・・・。
スタジオに戻ると注文していた6オクターブのフォルテピアノのカバーが完成しついに到着。オーダーメイドの細かい注文にも完璧な仕上がりで流石MadeInJapan!、これで海外の半額とは素晴らしい!オリジナルの6オクターブのフォルテピアノ、お披露目もいよいよ準備オーライです。乞うご期待!
同じく注文していたフォルテピアノの大御所M・Bilonのモーツァルトピアノソナタ全集の6枚組CDも本日到着。先日の来日時にご本人から「君のこのフォルテピアノで録音したんだよ」と初めて聞いたので楽しみにしていたこのCD(皆さん情報お知らせいただきありがとうございました!)、我がルイ・デュルケンのピアノの音色が存分に味わえます。(3台の楽器の弾き分けですが) ただこのCDの解説では我が楽器は「Thomas&Barbara WOLF、 Washington、1979(after Louis Dulcken Munich, after 1790)」という表記でした。この楽器のオリジナルは製造年など明細がまだ確定していない様子。
昭和初期の古楽ブームを検証するシリーズ、今回は昭和13年(1938年)八月号の洋楽レコード雑誌「Disques」より。表紙はVnを演奏する骸骨と少々不気味(ロックグループGratefulDeadのジャケットと言っても通用するのでは)。今では想像出来ない重苦しい雰囲気が漂っていたのでしょう。(もう洋楽愛好家も肩身が狭かったのでは?)
冒頭特集は新発売のランドフスカ女史のハイドン「クラヴサン協奏曲」を紹介。この時代となるとクラヴサン作品も違う演奏との聴き比べが出来始めたようで、同じチェンバロ奏者として日本でも多くの盤を出しているシャムピオンの演奏(ただしこの曲はピアノで演奏とのこと)と比較しており、筆者はやはりこの曲はランドフスカのクラヴサンの演奏で聴くべしと言っております。最後にランドフスカの最新録音の情報(ヘンデルの協奏曲)にも触れておりこの時代の彼女への注目度の高さを再確認。
他の記事としてはお馴染みの連続掲載「ディスク蒐集講座」、今回はモーツァルト。ピアニストではEフィッシャーが大人気で他にはシュナーベル、ルービンシュタイン、「戴冠式」はやはりランドフスカのPf演奏盤がイチ押しとのこと。フルートではモイーズの独占場。
この時代やはり戦時色が濃く、「今後のレコード界」という特集では「統制下のレコード界の行くべき途」や「現時の状勢下の愛好家の心構へ」なる重苦しい記事が並ぶも、そのすぐ後に「米国ダンスバンド人気投票」なる記事を持ってくるところに心意気を感じます(深読みかも?) スヰングバンド部門では、1)Bグッドマン 2)Tドーシー 4)Aショウ 5)Dエリントン(黒) 10)Cベイシー(黒) 12)Gクルーパ という順位。しかし(黒)という表記も凄い! 差別なのか区別だったのか・・・。
国内新譜情報には目ぼしいバロック作品は無し(もうブームは下火になって来ていたのか?) 海外盤新譜では仏蘭西からクラヴサン奏者のルヂェロ・ヂェルランの二枚の盤が発売とのこと。
最後のページには「著名演奏家の写真を特別に分譲致します」というこの雑誌の出版社からの広告があり、その中でカサルス・クライスラー、コルトーなどの有名人に並んでランドフスカ(それも二種類提供とあります)の名前も!この時代、ランドフスカのレアな写真(市場に出ていない新写真ばかりとうたっています)を求める人が多かったというのは彼女の人気の高さがいかに凄かったかの証拠では。(リストの中にフルトヴェングラーの名前が無いのが不思議、この時代まだ神格化されていなかったのか?)
昭和初期の古楽ブームを検証するシリーズ、今回は昭和13年(1938年)1月号の洋楽レコード専門雑誌「Disques」から。この号も表紙はパイプオルガンを弾く天使(これまた古楽情報誌のようなデザインでは) この雑誌、タイトルや1月号の表記を仏蘭西語にしているのも当時の知識人の粋さの表れなのでしょうか? しかし記事の最初に支那事変勃発後のレコード業界の混乱と苦悩を匂わせた歯切れの悪いコメントを掲載、息苦しい時代に突入しつつも音楽上の愉しみは何とか維持したいとの思いが伝わります。
まずページをめくるとシュヴァイッアーのバッハのオルガン音楽のレコード(7枚組)の大宣伝が登場。この時代日本では生演奏をほとんど聴けなかったと思われるオルガン演奏(どなたか当時のオルガン演奏の状況御存じでしょうか?)、それも高額になるはずの7枚組の盤を力を入れて宣伝しているところを見ると結構な枚数が売れたのでしょうか。
この号の冒頭特集は宣伝とタイアップだったのか、あらえびす氏による上記のバッハのオルガン盤の紹介記事。筆者はシュヴァイツァー氏のバッハ演奏を「不純なメーキャップを洗ひ落としたバッハ」と表現し、彼の本来のバッハ演奏を追及する姿勢を大いに絶賛。「現代の発達したオルガン、或は危機的に発達し過ぎたオルガンの行き過ぎた表現力に満足せず、演奏家の意図と思想と趣味を、極めて直哉に表現し得る「古いオルガン」を捜したと言われている」とシュヴァイツァーの演奏姿勢をその生涯と共に詳しく紹介。文章の中に「トーキーの音楽や、電気ピアノ、テレミンの音が何とデリカシーを欠いたものである・・・」との記述があり、もうこの時代電気ピアノ(どんな楽器だったのか興味深いのですが)やテレミンが日本で知られていたのには驚きました。(この時代は何故かテレミンと表記。最古の電子楽器テルミンは1919年発明、1928年頃アメリカで発売開始なので1938年となるともう日本でもその演奏は聴けたのかも・・・。これも研究対象です)
この頃の連続掲載の記事であった「ディスク蒐集講座」、この号は「バッハ・ヘンデルの同時代者」特集。取り上げられている作曲家はコレッリ、ジェミニアーニ、ヴィヴァルディ(まだ四季は知られていなかった様子)、タルティーニなどがVn作品として、クラヴサン作品としてはFクープランを筆頭にラモー、ダカン、Dスカルラッティ、そしてCPEバッハ、JCバッハが紹介。最後に何故かグルックを特別枠で丁寧に紹介、彼のオペラ作品を詳しく解説しております。(この時代人気があったのか?)
他にも「名盤秘曲集」(10枚組)という企画盤の紹介では、パハマン、ティボー、カサルス、プランテ(1839年生まれ!)、ヴィニエス、エネスコ、カペーと古今の名手揃いの中で企画者は「1枚目はランドフスカ!」と宣言しており、もう彼女は別格の扱いだった模様。しかしこのラインナップの中でトップを飾るとは・・・。
新譜紹介では残念ながらバロック物は少ないものの、ダンスミュージックで御贔屓のジャンゴ・ラインハルトとステファン・グラッペリの丁寧な紹介があり嬉しい限り。
昭和初期に早くも起こっていた(?)古楽ブームを検証するシリーズ、今回は昭和12年(1937年)12月号の洋楽レコード音楽雑誌「Disques」を拝見。この時代になると戦争のキナ臭い気配が誌面に少し現れはじめ、「日独伊防共協定成立!」という文句がレコード会社の広告のトップを飾り、軍歌やナチス賛歌のレコードが発売されていますが、まだ西洋音楽(特に米英)への制限はあまり感じられません(少し仏国音楽の割合が減ってきたような気はしますが・・・)
この号も冒頭特集はバッハ。「バッハの管弦楽組曲 ブッシュ等による~」(中村善吉) 管弦楽組曲全曲の録音はブランデン全曲録音以来の偉業であるとの紹介から始まり、この曲の作曲年の推測(シュピッタ説、シュワイツァー説、テリー説など当時の学説を並べて紹介)や、組曲の成立におけるリュリの功績(十七世紀仏蘭西に於ける歌劇の大家と紹介)などを交えて丁寧に紹介。この時代、レコードを聴くには相当高度な音楽的知識を持っていなければという風潮だったのでしょう。(演奏家にとってナント幸せな時代!) 作曲家一人にスポットを当ててその生涯や推薦盤を紹介する「ディスク蒐集講座」第三回は「バッハ」其の二。まずはオルガン曲の紹介。冒頭から「バッハの作品中、オルガン曲は最も重要なものであり・・・」という熱い紹介から始まり、「バッハのオルガン曲のレコードは英佛等の型録には、デュプレ、ブレエ、ヴィドール等の大家によるレコードが相当多いにも拘はらず、現在我が国に於いて求められ得るものは甚だ少なく、僅か十数枚を拾い得るに過ぎない。これはオルガン音楽そのものよりも、楽器に馴染の薄いことも一の大きな原因であらう」とのボヤキも。バッハの権威シュバイツァーの紹介の中には「シュワイツァーがバッハの一大権威者であることは、改めて言ふまでもなく、彼はバッハをバッハの時代と同様の状態で表現すること、換言すればバッハをそのまま再現することにあることは、彼のバッハ傳中「オルガン作品の演奏」その他の各章に於いて明らかである」と現在の古楽復興運動の真髄を言い表した表現も登場。
次のクラフィア曲の紹介では冒頭に「独逸のKlavierなる語は、現今では大体ピアノフォルテと同義にもちいられてゐるが、然しピアノの前身である有鍵楽器の総名として、何れの種類にも適用するものであり、バッハの作品に在つては、主としてクラヴィコルドとクラヴィチェムバロの二種を指すものと考へて差支ない。勿論不完全であつたが、今日のピアノたるハムマークラフィアはバッハの後年に存在した。老バッハがフレデリク大王を訪れた際に、ジルベルマン製のピアノを王は彼に示したが、特に彼の興味を引くには足りなかったと見えて、その鍵盤の為めの作品というものはなかった。又単にチェムバロ或はクラヴサン、又はハープシコードと言ふも、クラビチェムバロに同である」という文章が登場。
次にクラヴィコードの紹介では「クラヴィコルドが持つところのあの空虚な響、クラヴサンが弦を鍵盤のメカニズムによつて羽軸ではじくのとは異つて、ハムマーで叩くことからの効果、そして又’Pebung'と呼ばれるこの特色ある表音法の結果は、恐らく古い音楽の中でも最も精神的な、又最も表情的なものに値して、一番理想的なmedieumであつたらうと考へられる。殊に複雑した多声部音楽、そして「平均率クラフィア曲集」に於けるが如き声部が絶えず互に交叉し相織り為すやうなフィギアにあつては、一つの和絃中のある音を強調する力を有することは非常に必要なことであらうから。バッハはこの楽器を甚だ愛して居たと言われる。そして「平均率」は明かにこの楽器の為めのものである。然しながら音の強く明朗であるチェムバロに対しても、バッハは同様の愛情を持つて居たものであつて、かの「ゴールドベルヒの變奏曲」や「伊太利風の協奏曲」の如きは、二個の鍵盤を持つチェムバロの為めの作品であり、一声部から他声部への転移殆ど常に鍵盤の移動を意味するもので、両手の各部は殆ど全く相互に独立して、二つの異なつた音質の交替を求めている」とあり、まだ誰も見たことがない楽器に対してこれだけ愛情溢れる紹介が出来る当時の日本人の知識欲の高さには脱帽。
バッハのクラフィア曲の紹介ではまず「平均率クラフィア曲集」(この当時平均律という表記では無い)。レコードではEフィシャーのピアノ演奏を絶賛、ドルメッチのクラヴィコード演奏の盤は「不幸にして私はあの不完全(?)な楽器と、一見たどたどしい演奏とからは、大した感激が得られない。或は大きなピアノが十二分に音を発揮したこの曲を奏するのに聴き慣れ、耳が豪無しになつてしまつた為めであるかもしれない。歴史的興味はあるが、観賞用としてはどうかと考へられる」と正直な感想も。次に「半音階的幻想曲と遁走曲ニ短調」。この曲もEフィシャー、ドルメッチ、ランドフスカの三者を比較してランドフスカに軍配を上げてます。其の他色々な鍵盤曲を紹介する中、「ゴールドベルヒ変奏曲は最も難曲であり、大曲でもあつて、その種の形式で残された音楽中最大の作品であることは疑いない」と最大級の賛辞を送ってます。まだランドフスカの演奏しか録音されていない時代にもうこの曲は神格化されていた様子。
クラフィア曲の次は「音楽の捧物 其の他」という不思議な分類で「捧物」と「フウガの技法」を紹介。最後の宗教曲の紹介ではこの当時まだ十曲程度のカンタータの録音しかなかった様子。マタイ受難曲とロ短調ミサを二大名曲と評しているもまだマタイは完全版の録音がなく、唯一ロ短調ミサが全曲録音を聴けたのでこの曲が当時バッハの最高峰として君臨していたようです。
この雑誌はレコード評の合間に多彩な文章が掲載されているのですが、この号ではヴァイオリン製作家のストラディバリーの紹介(鈴木喜久雄)が登場。エルマン来朝時に筆者が彼の銘器を修繕をしたなどというエピソードもあり、当時にはもう日本でもストラディバリーという名前が有名だった様子。
今月発売のレコード紹介では、ランドフスカのモーツァルトピアノ協奏曲ニ長調の盤が登場。この時代クラヴサンだけではなくピアノ演奏も評価されていた様子。バロック物は今月は不作、ダンス音楽では「前号特報でメムフイスで不慮の死を遂げた「ブルーズの女王又は女皇」ベッシー・スミスのレコードは~」と日本でも彼女の急死が話題になっていたのには驚き。他にもルイ・アームストロング、黒デブ・ウオラー(本当にこの名前で売り出していたのですね)、テッディ・ウヰルソン、Bホリディー、Lヤング、ベイシーやエリントンなど1930年代のジャズスターの盤が結構日本で入手可能だったとはビックリ。まだ英米音楽の排除は始まっていなかったのでしょう。
昭和初期の日本における第1次古楽ブームを検証するシリーズ、今回は洋楽レコード専門雑誌「Disques」昭和12年(1937年)10月号を取り上げます。この号、表紙はリュートを演奏する女性(!)、これは昭和初期の古楽情報誌ですと言えば信じる方もいるのでは・・・(笑)。まあ琵琶を弾く天女の姿と思えば当時の日本人にも馴染みのある絵だったのかも。
目次を見るとやはり冒頭特集はバッハ!当時のバッハ人気の高さが伺えます。「バッハの「ロ短調ミサ」への私情」(村田武雄) 冒頭から「HMVにあるバッハの「ロ短調ミサ」の全曲レコードはいつになつたら日本でプレスされるのだらうか。このレコードが十分に享受されるほどには日本のレコード音楽鑑賞層が発達してゐないのだらうか。こんな質問を私は幾度うけたかしれなかった。それが十年たった今日やつと(中略)来月出ることになつたのを聞いて感激に耐へぬものがあつた」と、この名曲の日本発売を熱狂的に紹介。この筆者は「ロ短調ミサ」こそバッハの最高峰、マタイ受難楽よりも素晴らしいとべた褒めで「私は真面目なレコード愛好家ぬ全部これを聴いて貰はねば気のすまぬ思ひはする」と最後まで熱い口調で思いを語っています。(今はこんな激情的な紹介文は書けないでしょうね) 続いてシューベルト(この時代まだシューバートという表記もあり)やハイドンの盤の紹介が続きますが、どの文にも簡単ながら的確な作曲家や作品の多彩なエピソードなどが挿入されており当時この雑誌を読むだけで相当の音楽的な知識が得られたのではと感心します。次にバッハ盤を2枚紹介、露人名ヴァイオリニスト・ミルスタインの「パルティタ二番」、そして「パッサカリアとフーグ」。こちらはオルガン曲のオケ編曲盤ながら解説で「バッハの風琴曲の大部分はワイマアルに在って、宮廷附の風琴家であつた時代(1708-1717)三十歳前後の期に製作されたが・・・」と紹介。当時のレコード愛好家の知識欲の高さが伺えます。盤紹介の次に「ディスク蒐集講座(一)」として「音楽史上極めて重要なる作曲家の音楽、傾向及びその代表作品を抽出して語り」「右参考レコードとして出来得る限り僅少の名盤を揚げ、これだけを蒐集すれば、大体その作曲家の音楽を把握出来ると云う選曲方法をとる」というレコード蒐集家にはありがたい企画が登場。その名誉ある第一回は「ヘンデル」(バッハでないのが不思議ですが)で、彼の生涯と作品の詳しい紹介を九ページもの大特集。色々な曲紹介の中で「我々は何よりも彼の最大の傑作「メッシア」を聴かなければならない・・・」とあり、この当時もうメサイアが人気だった様子。スカルラッチ(!)との鍵盤対決の話もあり、「幼少時代彼はクラヴイコルドを愛用したもののこの楽器の作品は無い」ともありチェンバロやクラヴィコードの情報も相当広まっていたことが伺えます。実はチェンバロという表記はこの時代殆んど無くクラヴサンという名称が一般的だった様子。やはりフランスのランドフスカの存在が大きかったのでしょう。次に「名演奏家秘曲集」(ビクター)という企画盤の紹介で、ティボオ、パハマン、ランドフスカ、クルプ、カサルス、クライスラー、ゲルハルト、メルバという古今の名手の中から選ばれた八人の演奏を集めたシリーズというこの企画盤。ランドフスカがもうこの歴史的名手八人の中に選ばれていることには驚きましたがこの当時の彼女の人気が現在思う以上に凄かった証拠でしょう。最後の今月発売のレコード紹介ではバロックモノは少々不作ながら海外盤紹介の冒頭でスカルラッティ「ハープシコードの為の奏鳴曲」(イエラ・ベツスル)という6枚組が登場。米国盤なのでクラヴサンではなくハープシコードなのでしょうね。ベートーヴェンソサエティはシュナーベルのソナタ、バッハ「平均律洋琴曲集」第五回は何故かピアノのEフィッシャーとハープシコードのランドフスカのカップリング。チェンバロの表記はオリジナル表記に合わせてその都度変えている様子。
昭和12年にもなるとクラシックと共にポピュラー音楽が盛んになっていたようでレコード紹介のコーナーにもポピュラーセクション(オケ演奏の軽音楽が主流)と、ダンスレコード(当時はダンスブーム真っ最中)があり、特にダンス音楽にはタンゴの他に今でいうジャズの初期の演奏が登場しております。ただ表記の和訳には苦労したようで「汽車ポツポ・ブルース」なんという傑作なタイトルや、演奏家で「黒デブ・ウオラー」(ファッツ・ウォラーの事ですが直訳しすぎでは・・・)など興味をソソル物が多そうです。(いつかゆっくり調べてみたいものですが)
スイス在住のチェンバロ奏者北谷直樹氏の約1年振りのソロリサイタルが決定いたしました。2011年はGボッセ指揮神戸市室内合奏団のブランデンブルグ協奏曲全曲企画のソリストや山梨古楽コンクールの審査員などに登場予定と日本で大活躍の予定。ソロリサイタルは東京と神戸で開催予定。お聴き逃しなく!
SPACE NKTY 2011
北谷直樹 チェンバロリサイタル
4日、昨日のリハに続き京都の100年前の洋館でのコンサートに出動。リハの合間に古都の蕎麦屋散策、昼は創業500年超(さすが京都)という老舗有名店で大せいろ。 老舗らしいオーソドックスな蕎麦と汁ながら量はたっぷり。観光客相手のお店ばかりの中ではありがたいお店(お値段はさすがにちょっとお上品でしたが) 夜も大衆蕎麦屋へ。「あまきつね」「衣笠」「のっぺい」なんていう謎のメニューはさすが古都。
今日はレザールフロリッサンのOb奏者としてヨーロッパで活躍中の植野真知子さん率いる日仏実力派メンバーの「Soleil Levant」の京都公演。 この会場は日本とは思えないゆったりとした空間と素晴らしい音響で正に古楽器には最適。お客様も大入りで久々に開演前に椅子を追加するなど嬉しい悲鳴。御贔屓の会場で充実した演奏を楽しみ後味良く深夜東へ移動。
昭和初期のレコード雑誌の記事から当時の古楽ブームを読み取るシリーズ、今回は昭和12年(1937年)7月号の洋楽レコード専門雑誌「Disques」を検証。まずは表示のヴィオラ・ダ・ガンバを弾く婦人の姿には驚嘆!チェロのような姿ながらF字孔ではなくC字孔というのははっきり解りますので当時「これは何という楽器?」というように古楽器への関心が高まっていたのか? もしかすると有名なランドフスカが弾くクラヴサンやドルメッチが弾くクラヴィコードと同時代の弦楽器という知識はある程度広まっていたのかも・・・。
この号の冒頭に編集長自ら「今やディスク界は正にその黄金時代を現出してゐます。毎月各社より発売される洋楽レコードは次第にその数を増し、今日ビクター、コロンビア、ポリドール、テレフンケンの四社より発売される洋楽レコードは合わせますと、その数実に百五十枚、時とすると二百枚近くの先ずに上る事も珍しくありません・・・」と声高らかにレコード音楽全盛時代を宣言しておられます。そろそろキナ臭い戦争の気配を感じながらもまだ存分に西洋音楽を堪能している日本の愛好家達の姿が垣間見れる紙面は多数のレコード情報記事で溢れており活気に満ちておりますね。この時代が戦前では一番充実していたのでは?
レコード紹介記事の冒頭は「ヘンデルのConcerti grossi Op.6全曲」の特集。「伊太利のヴァイオリン大家、アルカンジェロコレルリが、死ぬ前年(1712年)に出版したコンチェルトグロッソと呼ぶ曲は、少数の独奏楽器が競奏し、他の楽器の群がこれに伴奏をつけて行く形式のものであって、これはコレルリによって完成され、以後彼のものが標準となって各国に非常に多く行はれたものであつた・・・」との紹介から始まる解説は楽譜による演奏上の専門的な解説も交えて7ページの大特集。当時のレコード愛好家はその盤を深く理解するためには音楽的な背景や理論等を正確に知ることが当然と思われていた様子が伺えます。(現代の愛好家も見習えば・・・と云いたくなりますが) 演奏はせずにレコード鑑賞のみという愛好家がほとんどのはずながらこの高レベルの解説とはこの時代のレベルの高さに脱帽です。
私が一番驚いたのがこの記事。「ワンダ・ランドフスカ塾便り」として彼女のパリ郊外の音楽私塾を詳しく紹介されていますが、まずは彼女のリサイタル情報の凄さには驚かされます。ゴールドベルヒ変奏曲から始まりピアノとクラヴィコードによるモーツァルトのソナタ、シャムボニエール・ラモー・クープランのフレンチプログラム、ピアノとクラヴサンによるモーツァルトのソナタ、クラヴサンによるバッハ平均律、ピアノによるモーツァルトソナタなど、クラヴサンだけではなくピアノやクラヴィコード(!)を駆使してバロックの銘曲を積極的に紹介していた様子が伺えます。また1年を通じてのレッスン内容や授業料などの明細も紹介(レッスンにはピアノ、クラヴサンの他にもクラヴィコードを使用と明記されているのには驚かされますが) 最後に申し込みの電話番号まであるのは日本からのレッスン希望者を期待しての記事では?と思えるほど熱心な紹介文です。締めくくりに「春はサン・リュウ・ラ・フォレの日曜日に午後、更に貴方達を連れて行く(と前書きして) その庭園では、緑々した芝生のはづれに、菩提樹の並木道が立ちならび、忘却的な、静けさに満ちた環境は、我々の心のかてである「ゴールドベルヒ変奏曲」ラモーやクウプランの組曲、バッハの十五のプレリュードとフーガ等、最も人間的なそして音楽が持つ最上の喜悦を味はふのに適している。ワンダ・ランドフスカがピアノに就くモーツァルトに捧げられた六回の會を含むこの夏のサン・リュウ・ラ・フォレの演奏會の眞賣は、理想的な解釈である。-と結んでゐる。」との文章でランドフスカの私塾の魅力を語っています。この記事を読んで巴里郊外の私塾を訪問した日本人が果たしているのでしょうか?
昭和初期に我が国で起こっていた古楽器ブームを検証するシリーズ第5回、今回は昭和11年(1936年)9月号のレコード音楽雑誌「Disques」を拝見。冒頭のレコード広告を見ていますとEフィッシャー(Pf)のバッハ演奏(平均律や半音階などが目立ちます。バッハの有名チェンバロ曲は一通りレコードで聴ける時代になっていた様子。
この号の目次を見ると冒頭特集はちょうど2度目の来日を果たしたJティボー氏のインタビュー。この来日時に彼はヴェラティーニのソナタを日本ビクターに録音(海外の大物が日本で録音することはまだ珍しい時代です)し日本のクラシック愛好家の間で大きな話題になった様子。
次の特集は「ランドフスカ女史に依るヘンデル「組曲集」を讃ふ」(杉浦繁) もうチェンバロ奏者などと肩書や説明をしなくても「ランドフスカ女史」だけで通用する時代になっていたのでしょう。「ワンダ・ランドフスカ女史がヘンデルのクラヴサンによる組曲を吹き込んだというニュースを耳にしてから、もう数ヶ月を過ぎて仕舞った。日本プレスが概に発売されてもよさそうなものであるが、未だに出ない様であるから此慮にその試聴記を書くことにする・・・」というこの録音に対する期待の高さを物語る文章から始まる記事は、「組曲の主題は相異なる舞曲、器楽的様式はフランスのリューテニスト、即ちシャムボニエール、ダングルベール、大クープラン等のクラヴサン学派から多大の影響を受けている。事実リュート曲作法のスタイルはバッハ、ヘンデルの二巨匠に依って基礎づけられたと云ってよい・・・」とどこぞの音大の試験に出てもオカシク無いような解説を交えてこの話題の輸入盤を紹介。最後に「女王ランドフスカ女史の演奏に付いては今更なんの賛言をも必要としない。全く敬服すべきもので、先の「ゴールドベルヒ変奏曲」「クープラン集」「スカルラッティのソナタ集」と共にレコード史上を飾る逸品である。レコーディングも美しく、その日本プレスを待つものは筆者1人ではあるまい」と最上の賛辞を送っています。当時これほどの評価を得ていた演奏家はまだ少なかったはず。人気の程を伺えます。
レコード試聴欄では「バッハ「オルガン協會」のレコード」(土澤一)の記事も。「バッハはその生涯を、殆んど教會のオルガン奏者として送過した人で、決して大きな野望を抱いて闘つた人ではなかった~」という「聖人バッハ」のイメージを呼ぶような紹介を交えて、「オルガンこそはバッハに自由の精神と力とを興へたのである。自己の大きな勝利をかち得て、深い表現をオルガンを通じて表現したのである~」とオルガン作品を絶賛しています。この時代、日本にはまだ僅かのパイプオルガン(数十台?)しかなかったはず、パイプオルガンを知らぬまま聴いていたとは思えない思い入れある文章には驚かされます。演奏はアルバート・シュヴァイツァ教授とあり、当時彼はすでに「オルガン演奏もする宗教家兼医者」として認知されていた様子。
この号、最後に「第1回ディスク賞レコード撰定」報告という記事があり、読者による当時の発売レコードの人気投票の結果が発表されており、交響曲部門は「第九」(ワインガルトナー指揮ウィーンフィル)など、管弦楽曲は「バッハロ短調 第二組曲」(メンゲルベルク指揮コンセルゲヴウ交響楽団)「ヘンデル水上の音楽組曲」(ハーティ指揮倫敦フィル)など、ヴァイオリンはクライスラーやティボー、シゲティ、ピアノはコルトーやケンプ、シュナーベル、ギーゼキングが人気、器楽分類の中にピアノ、ヴァイオリンの次にオルガンが登場するのが不思議(もうそれ程人気がある楽器になっていたのか?)。ブレエとデュプレというOr奏者が人気だった様子。其の他の器楽曲としてランドフスカの「クープラン曲集」「ゴールドベルヒ変奏曲」「調子の好い鍛冶屋」の3枚が選定(オルガンはジャンルに掲載されチェンバロはその他というのは何故?) 宗教曲ではヘンデル「救世主」(ビーチャム指揮英国放送協會聖歌團管弦楽オルガン伴奏)など。こうやって当時の人気盤を見てみるとやはり当時の日本人のバロック作品の贔屓振りが窺えます。
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