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30日、首都圏に台風接近との報に緊張の1日。昨日からの現代古楽界の御開祖様のHaydn公演にフォルテピアノで出動。もし台風直撃で公演中止となれば(過去何度も経験あるのですよ)昨日訳あって御大の仕事にトラを送った事への天からのしっぺ返しかと恐れるも何とか無事公演開催でホッ(終演時には雨上がってましたね)。交通機関が混乱する豪雨の中でも駆けつけた熱心なお客様(御開祖様の信者というべきか)に囲まれウィーンのピリオド老舗オケはこれで来日最後という貫禄の演奏を披露(まだMozart公演がありますが) 終演後もいつまでも鳴りやまない拍手に応えて御大は何度もカーテンコールで日本の信者と謁見。まだまだお元気な様子なので再び日本でその演奏を聴きたいものですが・・・。
29日、この夏のBachコンクールで大活躍のVn奏者とドイツから来日のクラヴィア奏者のミュンヘン勢コンビの上野での公演にジャーマンチェンバロとワルターフォルテピアノの2台で出動。バッハの息子からモーツァルト、ベートーヴェンまで多彩なプログラムを圧倒的なテクニックと抜群のコンビネーションで料理してしまう2人の演奏には脱帽!前半(チェンバロ伴奏でA=415)と後半(フォルテピアノでA=430)でピッチが相当違うのに苦も無く合わせてしまうVn奏者、同じく全く違う鍵盤楽器2台を簡単に弾き分けてしまう鍵盤奏者、共にタダモノでは無い・・・。今回の演奏、しっかりと録音されてましたのでいずれかCDで発表されるのでは?
28日、昨日に続き新しいホールでリハーサル2連チャン。まずはウィーンの老舗オケのリハにフォルテピアノで参加。憧れのマエストロに我がフォルテピアノ(ルイ・デュルケン)を気に入って頂けたようでホッ。相変わらず80歳と思えないエネルギッシュな指揮で艶っぽいHaydnやドライブ感満点のMozartを披露。明日からの本番が楽しみ。夜は入れ替わりにこの夏のライプチヒバッハコンクールで第2位入賞と大活躍のVn奏者とドイツ鍵盤界の重鎮のミュンヘンコンビのリハ。こちらはジャーマンチェンバロとワルターのフォルテピアノの2台を提供。抜群の楽器コントロールの2人の丁々発止の競演が凄い!どちらも明日本番、どちらも聴き応え充分の演奏間違い無し!私は体が2つ欲しい!
27日、フォルテピアノ2台とチェンバロの計3台を積んで上野の某音大の新しいホールへ出動。このホールは過去数々の古楽系の公演でお邪魔しましたが新築後は初訪問。姿は昔とあまり変わらないものの(少し狭くなったそうですが)、数人で満員になってしまう舞台袖や転げ落ちそうな急階段などは無くなってしまい(ちょっと残念・・・)音響も良く使い易そうなホールに生まれ変わっておりました。今日はこれで最後の来日という(本当?)現代古楽界の御開祖様(80歳ながら元気!)率いるウィーンの老舗古楽オケと合唱団によるHaydn公演のリハにフォルテピアノを提供。オケを見ると「親分と共に50年・・・」というベテラン組(創立以来のメンバーというマエストロの奥様もVnで活躍のご様子)と中堅若手が混じる年齢層の幅広いメンバー。日本でもお馴染みのオランダ系とは一味違う老舗の古楽の味を醸し出しておりました。(本番は絶対聴きモノですぞ!) 今回のフォルテピアノ奏者は中々イケメンの若手奏者。提供楽器が「M.Bilson氏の持ち物だったものでつい最近彼が来日公演でも弾いたんだよ」と申し上げると「この楽器の鍵盤には彼の弾いた跡が付いているんだね!」と感激してくれた様子。今日はウィーン勢のためのルイ・デュルケンのフォルテピアノの他、10月29日同会場でコンサートのミュンヘン勢(バロックVn+Cem&Fp)のために2台の楽器も搬入。
昭和初期の日本には古楽器の情報が溢れていた?。驚きの記事が多数掲載のレコード音楽雑誌「Disque」。今日は昭和9年(1934年)4月号のご紹介。ページをめくるとまずは多彩な広告が。蓄音器(まだ電蓄とゼンマイ式が両立)、レコード、楽器、音楽喫茶(蓄音器の銘器クレデンザ使用と誇らしげにうたっている店多し)などの中に「お買物相談所 輸入品は何でも・・・。一個のシガレツトケースから1台の自動車迄」とのナントモ凄いお店の広告まであり今でも楽しめます。
この号、冒頭にはワンダ・ランドフスカ女史の美しい演奏写真とサインを掲載(何故かピアノを演奏のようなのですが) この時代にはもう話題の演奏家として相当知名度が高かったと思われます。
目次を見るとまずはリュート伴奏で合唱する欧州人のイラストが。冒頭のランドフスカといいまるで古楽情報誌のようなデザイン(笑)。 特集にはメリハル指揮ベルリンフィルのメンバーによるブランデンブルグ4番の紹介(この時期コルトーとメリハルの両者によりブランデン全曲がやっと録音されたとある。日本ではまだ2番と5番のみの発売) 次にエドウィン・フィッシャーの「四十八協會」レコード(7枚組)、バッハ平均律1巻から11曲を演奏した盤の紹介。評者は何故かバッハがお嫌いらしく(ただ当時はそう簡単にバッハは嫌いと言えない風潮だったようで終始歯切れの悪い文章です) もうその時点では評判を呼んでいるものの評者はまだ未聴という「ランドフスカ「ゴールドベルヒ」なら感動するのだろうか?もし満足出来なかったら一体どうしたら好いのであらう」という締めくくりが興味深い。新譜紹介ではレスゲン・シヤムピオン(クラヴサン)演奏のダカン「リゴオドン」「ミュゼツトとタンブーラン」 クープラン「大殿様」「若殿様」(ビクター)が紹介。「この人はランドフスカから比較すれば勿論あれ程の輝きはないけれ共仲々素質のよい人のやうである」 実はこの人の盤は結構日本で入手出来るので当時人気は高かったのでしょう。次にポール・ブルノール(クラヴサン)演奏のバッハ「ガヴオット「英国組曲」より」「ミユゼット」 ダカン「郭公」(ポリドール) この紹介の中で興味深い文章が・・・。「前にも申し上げた様にこのクラヴサンは非常に古いもので、クラヴィコードに毛の生えた程度のものであるので、勿論ランドフスカのクラヴサンに比較すべくもない。(中略) これはブルノール1人の罪ではなく、その半はクラヴサンの不完全さにもあると云われるだろう」 これはもしかするとこの録音はオリジナル楽器による演奏だったのかもしれないのでは!是非音源を聴いてみたいものです。
そしてこの号の最大の目玉が「ワンダ・ランドフスカ特集」。最初に1933年11月7日巴里のギヤヴォ音楽堂(サルガヴォーのことでしょうね)での公演の観戦記から始まるのには驚きます(その上その場に日本人が3人もいたそうな) 他の楽器の時のようなスノブな紳士淑女が少なく若者や外人が多かったとあり、これはまるで1960~70年代の古楽ブームと一緒だった様子。
次にレコード評論の大御所あらえびす氏による「まだ見ぬ楽器の魅力」。見たこともない楽器の解説は書けぬと散々云い訳をしながら判る範囲での楽器解説は「写真や絵で見て大体の恰好を想像し、槌で叩かず爪で引つ掻くことだけは解って居るが、その爪が何んな恰好をして居るかとなるとサア解らない」という正直な感想が。ただハープシコードという楽器はランドフスカが自分でペダル付きに改作したと書いてあるので過去の楽器とは違う存在だったという認識はあったようです。昭和9年に入手可能なランドフスカの盤はヘンデル「調子の好い鍛冶屋」モーツァルト「トルコ行進曲」「ドン・フアンのメヌエツト」 ラモー「タムブラン」 ダカン「郭公」の2枚から始まり、バッハ「ファンタジアハ短調」「イギリス組曲ホ短調」、スカルラッティ「奏鳴曲第9番田園」 クープラン「恋の鶯」 バッハ「ゴールドベルヒ変奏曲」という順番に発売されたとのこと。
最後に海外で発売されてまだ間もないバッハ「ゴールドベルヒ変奏曲」の楽譜入りでの詳しい楽曲解説が。このランドフスカによって200年振りに蘇ったバッハの秘曲に対する熱い期待を感じさせられる9ページの大作となっており、中には「原標題が示す如くこれは二つの鍵盤を有するクラヴサンの為めに書かれたものであって(中略)この事実は左右両手が交叉する急速なPassegeの部分が現代のピアノを以ってしては演奏不可能であることを察するに難くない」との文章も。 昭和9年、日本音楽界のトップ陣が総力を挙げてランドフスカとチェンバロの特集を組んでいたことには本当に驚かされます。当時一部でチェンバロ演奏の盤が結構愛聴されていたのは間違いないでしょう。
イタリアのロヴェレートで先週水曜日から開かれていたボンポルティ国際古楽コンクール(ヴァイオリン部門)でバロックヴァイオリン奏者の木村理恵さんが見事最高位と聴衆賞を獲得されたとの事です。おめでとうございます!
ボンポルティ国際古楽コンクール http://www.premiobonporti.org/edizione2010.php
2010年10月20日21日予選 22日 セミファイナル 24日 ファイナル入賞者
第2位 Kimura Rie(木村理恵)
第3位 Lehtipuu Aira Maria
第4位 Wunsch Gabrielle
聴衆賞 Kimura Rie
審査委員
Enrico Gatti (Italia) Odile Edouard (Francia) Susanne Scholz (Austria) Ryo Terakado (Giappone) Carlo Vitali (Italia) Enrico Bellei (Italia) Balázs Máté (Ungheria)
まずページをめくると最初の広告がドルメッチのバッハ四十八協會レコードとは驚かされます。先月号での平均律特集を受けてコロンビアレコードが早速大宣伝を開始したのでしょうが、一体この宣伝で日本国内何枚のクラヴィコード演奏のレコードが売れたのでしょうか?(私も簡単に入手出来たところを見ると相当出回ったのかも・・・)
この号の目次を見るとやはりバッハ関連が圧倒的に多い。冒頭はベートーヴェンの新しい第五交響曲録音(ワインガルトナー指揮ロンドンフィル)の紹介。(運命の新録音が話題になるとはのどかな時代) 続いてバッハの第二ブランデンブルグ協奏曲の紹介。いきなり「バッハの六個のブランデンブルグ協奏曲が音楽史上に於て有する位置及びそれ等の内容に付いては今更喋々する迄もあるまい」との文には驚嘆(昭和8年ですよ!) 次にバッハの二つの協奏曲の紹介。ピアノ協奏曲(1番Dmoll)は名手エドウィン・フィッシャー演奏。ヴァイオリン協奏曲(2番Edur)はミッシャ・エルマン演奏。バッハ盤紹介の最後は「音楽の捧物」。バッハがポツダムの宮殿でプロシアのフレデリック大王との遭遇した時の数々のエピソードが詳しく語られ、中には「ジルバァマン(Silbermann)の造ったピアノを試演したことなども紹介されておりました。(さすがにまだフォルテピアノという分類は無かった模様)
巻末の特集がナント「古楽器に依る古典器楽曲のレコード」。冒頭に古楽の器楽演奏の定義が長々と説明され「古楽器俗曲、略して古曲とは、十六七世紀に於ける器楽の復活時代より始まってパーセル、コレルリ、ラモーを経てヘンデル、バッハに至る器楽を指すのである。時代をヘンデル、バッハに於いて終焉せしめたのは、この二巨匠に於いて音楽が一つのクライマックスに到達したとの見做すが故である」との文章で始まる紹介文には、「ヴァイオールは前期の代表的な楽器ながらこれは素人の楽器である・・・」(その背景と何故素人といったのかなど相当のページを割いて詳しく解説していますが)というガンバの紹介、「ヴァージナル、スピネット等はどちらかと云えば素人向きであり、ハープシコードに至って専門的となり、ピアノフォルテに至って最もヴィルチエオソ的となった。(古典時代にはピアノは未だ完全なる楽器として存在しない)といった鍵盤楽器の紹介(現在で言うフォルテピアノの記述があったのには驚きでした)、他には木管楽器としてレコーダー(こう呼んでいたようです)や金属楽器としてトランペット、ホーン、コルネット(!)と多彩な楽器を紹介。中には「この時代の人々は音色の持つ特異性に対して異常に敏感性を有していたらしく。例えばリュートとヴァイオールとは恋愛音楽用に(凄い!)、ホーンは狩猟用に、トランペットは戦闘用に、レコーダーは超自然的に、コルネットは悲劇用にこれを使用したと記録せられている」との大胆な分析も登場。
巻末には「バッハ四十八協會」日本支部設置の案内が。この時期ドルメッチの平均律演奏には相当な関心が集まったようで「この音楽をピアノで研究なさる方は格別として、我々デイスク愛好家の鑑賞の上から申して、元型の真の姿で、然もピアノよりよほど表情豊かなクラヴィコードによる、この四十八を推薦したいと思ふのであります」との今でも過激に思える推薦文が掲載されております。日本でのクラヴィコード第一次ブームは昭和8年と言ってよいのでは?
昭和5年発刊のレコード音楽雑誌「Disque」。今回は昭和8年(1933年)5月号をご紹介。昭和初期やっとクラシックレコードが国産開始後(それまでは輸入盤のみ)たった2年でレコード紹介雑誌が日本で相次いで3誌も発行されるようになったとの事。世界的にも英国が一番早く1922年にレコード雑誌発行、米国が1926年、仏国はナント日本より遅く1934年ですから、当時の日本のはるか彼方の西洋音楽への関心の高さには驚かされます。
この昭和8年5月号、まずは本編冒頭に古楽復興の立役者ドルメッチのリュートの演奏写真が掲載されておりビックリ。 当時のレコード愛好家はこの写真を見てどんな音楽を想像していたのか興味深々ですが・・・。
この号の目次を見ると冒頭の特集が「バッハの大彌撒のレコード」(アーノルド・コーツ指揮ロンドンシンフォニー&フィルハーモニック合唱団1928年頃発売) これはHmollミサ曲のことですね。あらえびす氏の曲の詳しい紹介の中にチェムバロを使っていることを褒めていたり、楽団の配置に文句をつけていたり(録音用の並びでは原曲の精神と作曲家の気持ちが無視されるとの事)、雑音混じりで聴こえるバッハの大曲に結構辛辣な講評をされているのが凄い。
次の特集は「The Forty-Eight Society The Clavichord」。冒頭から「野暮と云う語がある。今更ら平均律洋琴のことなど喋々するのが即ちそれであるが・・・」との文章で始まるドルメッチのクラヴィコード演奏によるバッハ平均律第1巻全集の紹介記事、1933年に「今更ら平均律」と言う姿勢には驚愕。記事はまず長い平均律の紹介から始まるのですが、曲集の音楽的な解説や後世の作曲家達への影響、そしてクラヴィコードで演奏する事への賞賛(ドルメッチは以前の録音よりクラヴィコードが上達しているなんて書いてあります)などの中に、
「適當に調律せられたる洋楽のため」の曲集を何故にバッハが作ったと云う動機は申す迄もなく所詮平均律宣伝のためであらう。1オクターブ12の鍵盤を持った1個の洋琴に依つて、1切のキーを実際的に大なる支障なく演奏し転調し得る如くに調律の誤差コンマを、分配するため五度に依つて調律したKlavierを宣伝するためには、先ず以つて音楽は一切のキーで奏されなければならないことを立証する必要があった。」
との現代以上に真実を理解しているのでは?と思える文章も登場。この時期「四十八協會」日本が設立されたことも紹介されてます。いかにドルメッチのクラヴィコードによる平均律の演奏に関心が高まっていたかが判ります。
他にも「フランス民謡Bourreeの話」としてブーレの踊りのステップ図が楽譜と一緒に掲載されていたり(我々はクープランやラモーの諸作品の中にブーレの名を発見しますが・・・なんて文もあります)、フランスのバロック曲の解説では「クラヴサン」、ドイツモノでは「チェムバロ」、演奏楽器にはハープシコードと器用に楽器名称を使い分けていたりと当時の愛好家達の音楽的知識の高さには脱帽です。
20日、今日はチェンバロを持って阿武隈山系の山奥の学校とお寺に出張コンサート。まずは小中学生合わせて10数人という過疎の学校へ。初めて見るチェンバロへの児童達の素直な反応が初々しい!
昼食は我々も学童と一緒の給食を頂く事に。「ウチは脱脂粉乳だった」「鯨料理多かったよね」と 私を含む年配スタッフの給食談義が中々面白い・・・。最近の給食は昔に比べると美味でした。
学校公演の後はさらに山奥に入り由緒ある古寺で本番。(この2カ月で3つ目のお寺公演でした) 相当標高が高いのか気温もグッと下がり寒い位。過疎の集落ながら珍しいチェンバロの音色を聴きたいと予定の倍ほどのお客様が来場しお御堂は満杯状態。古いお寺の建物は音響や雰囲気共に素晴らしく多くの方にチェンバロの魅力をお伝え出来た様子。いつかは福島県よりチェンバロ奏者がたくさん排出する時代が来るのでは・・・。
19日、いわきのホールでのロビーコンサートに16fチェンバロが初登場(重量級のチェンバロを7人掛かりで階段上げが大変でしたが)。石の床で5階分吹き抜けの贅沢な空間はまるでヨーロッパの教会のような残響豊かな素晴らしい音響で16チェンバロの迫力を存分に味わえる贅沢な会場でした。(そんじょそこらの音楽ホールよりも古楽向きかも・・・)
今日は地元出身の山名敏之氏のリサイタルということで満員立ち見多数という盛況ぶり。 来月から始まる市民向けチェンバロ講座も受講生募集もあっという間に満員になったとのことでいわきは古楽への関心が高い街になりつつあるかも・・・。
18日、昨日に続きいわきのホール所有のチェンバロのメンテと明日の公演のリハーサル。ホールご自慢の16f付きジャーマンチェンバロ、演奏家共々その大迫力の音色に圧倒されっぱなし。バッハの曲を16fチェンバロで演奏するとイメージが余りにも違うので驚かれること間違いなし。明日のロビーコンサートをお楽しみに!(実はこのホールのロビーはそんじょそこらのホールよりも残響豊かで古楽器向きの会場なのですが)
現存する16fチェンバロといえばブリュッセルの博物館所有のハスの2段鍵盤が有名ですが(Aシュタイアー氏所有の16チェンバロはこのモデルとのこと)、ハンブルグの博物館にもツェルと思われる16fのフタが現存しており、バッハと同時代のハンブルグでこの大型楽器が盛んに製作されていた様子。このホールの楽器はツェルに近いモデルとの事。
今日も仕事の合間にいわき味巡り。東北ながら昼はまだ半袖でも大丈夫なほどの陽気(もう10月後半なのに・・・)、 今だに暑気払いで最近評判の鰻のお店でランチ(実はいわきは鰻のレベル高し) 柔らかく蒸し上げたホクホクの歯応えが美味。いわきは魚好きには堪らない街ですね。
17日、早朝東京を出発し東北いわきへ。(と言いながら南端なのですが) 日曜朝6時台の常磐道下り、ガラガラと思いきやゴルフ親父の高級車で渋滞寸前。今日はいわきのホールにチェンバロ2台(16fチェンバロと1段ジャーマン)のメンテで訪問。
日本の音楽ホールが持つ楽器では唯一のヒストリカル16f付きチェンバロというこの楽器(16f付きと言ってもモダンチェンバロは結構あるかも)、この秋からいわきで頻繁にコンサートで登場の予定。バッハも愛したパイプオルガンのようなド迫力の16fの音色を是非お聴きあれ!まずは明後日19日に地元出身のチェンバロ・フォルテピアノ奏者山名敏之氏コンサートで登場の予定(無料のロビーコンサートです)
いわき訪問の楽しみと言えば御近所小名浜漁港の海の幸。 仕事の隙間に車を走らせ漁港の大衆食堂で安価なチラシ丼のランチ。(刺身観光客相手のお店の半額では?) 御近所で存分に新鮮な海の幸を味わえるのはナントモ贅沢!東京から少々遠いながら(それでもたった200kmですよ)海の幸と迫力の16fチェンバロ演奏両方を堪能出来るのもいわきへの旅の魅力では。
14日、やっと秋らしい絶好のコンサート日和、池袋明日館での三和睦子 さんのチェンバロリサイタルにジャーマンで出動。長年ヨーロッパで活躍の実力派の久々にリサイタルということで200人近いお客様が来場。(明日館には程良い人数かも?ここは満員でも響きもほとんど変わらないですし) 私はここがチェンバロソロには一番合う会場だと思うのですが・・・。明日館でのチェンバロ公演は2011年3月23日(水)に1年振りに北谷直樹チェンバロリサイタルを開催の予定。乞うご期待!
13日、現在訳あってチェンバロや古楽復興の歴史を調査しており数年前に岡山の古本屋で偶然見つけた昭和初期の音楽雑誌を参考のためにと久々に再読したところ(実は余り詳しくは見てなかったのですが・・・)日本古楽史の定説を覆すような驚きの内容盛り沢山でしたのでここで少しづつ分けてご紹介します。月刊「Disque」は昭和5年創刊の新譜レコード紹介を中心とした音楽雑誌。(東京市京橋区銀座6丁目1番地 グラモヒル社発行) (価格1部三拾銭 半年分一円五十銭 一年分三円) まずは私が入手した一番古い号を取り上げます。
昭和7年(1932年)9月号、約70ページのコンパクトなレコード音楽雑誌。表紙は「ディスク九月号」(この時代はまだ日本語表記)「Revue des discs et gramophones」とシンプルなデザインながら洒落た文字。記事の前後にレコードや蓄音器・楽器・音楽書の宣伝多し。この時代のオーディオ(?)はまだ手回し蓄音器が主流、レコードはコルトーやティボー、カザルス、クライスラーなど有名どころが目白押し、輸入盤屋のリスト(HMVレーベル)には早くも(Clavecin) Landowska Fantasia/Passpied (3.5円) Pastral(Scarlatti) (3.5円) との案内が・・・ 昭和7年にもう日本でランドフスカのチェンバロ演奏がレコードで人気が高かったことが窺え興味深いです。
目次を見ると冒頭がAコルトオ指揮の巴里・エコール・ノルマール室内管弦團演奏によるバッハの「ブランデンブルヒ協奏曲3番&6番」の試聴評。「バッハのブランデンブルヒコンチェルトはケエテン滞在中(1717-1723)の作曲で・・・」というような中々詳しい解説を5ページ、中には「フルトウェングラーはこの曲をベートオヴェンかワグナーでも演奏するように大掛かりに扱っていたが、コルトオは形式は非常に古典的でオーケストラの編成も殆ど原作の指定通りであろうと思われる~ゲネラルバスには忠実にツェムバロが用ひられている位であるから多分異なる所は使用楽器が古代の形式の物ではない位なのではあるまいか」との記述も・・・(この時代の検証としてはなんと古楽器を意識していることか!) レコード紹介のページではバッハ・カンタータ第四番・第百四十番(ミレー指揮バルセロナ市カタローニア合唱団)が冒頭の推薦レコードに。日本盤新譜紹介にはレイニー作曲「フルートとハープシコードへの奏鳴曲」(Ft Jナダ&Hpd Jホーレンマン) 解説の中でハープシコードとチェンバロの名称が混然と使われているのが面白い。他に「アレグラメンテ」(エールトン/カサドウス編) ハープシコード演奏 レジナ・バトリニ・カサドウス という盤も。楽器名称も「セロ」「フリユート」、作曲家も「ベートホベン」「ドウビユッシイ」など時代を感じさせる表記多し。それにしても1934年に日本でこれほどチェンバロ演奏のレコードが発売されているのには仰天でした。今後このシリーズまだまだ続きます!
11日、先日元所有者のMビルソン氏と劇的な再会を果たした我がフォルテピアノ。89年の来日公演(共演はビルスマ氏)の際に米国から運ばれ現在は私の元でコンサート楽器として活躍中ですが、そのモデルの明細が実は良く判らない・・・。この楽器ワシントンのスミソニアン博物館にあるオリジナルピアノのコピー(80年代まではAシュタイン作の楽器と思われていたのが調査で贋作と判明、現在はデュルケン作として表記)、先日のビルソン氏レクチャーの際に提供された資料(筒井はる香さん解説)では 「デュルケン(1761-1835) はフランドル地方出身の製作家。アムステルダムで父からチェンバロ製作を学んだ後、1783年頃にパリへ転居した。この時名前をJohann Lodewijk Dulckenからフランス語名Louis Dulckenに改名した」との事。しかし別の資料では「アムステルダム生まれ、1781年にミュンヘンに移り住み工房を開設」とある。先日直接マエストロに伺うと「この楽器はミュンヘンのルイ・デュルケン作」と断言されてました。(今後はマエストロに従ってこの表記にする予定) 実はオリジナルの製造年もスミソニアンでは1788年 Jean-Louis Dulcken作(Munich)と表記、しかし他の資料では1794年や1795年などマチマチの様子。現在少しづつ調査中です。 そう言えばこのThomas&Barbara WOLFというアメリカの製作家夫婦によって作られた楽器は製造年も不明でして、先日マエストロに伺っても「80年頃だったっけ?忘れたよ」と言われてオシマイ・・・。彼が所有していた頃にモーツァルトPfソナタ全集の録音で使用したとかでもしかするとそのCDに楽器の明細が掲載されているかも。どなたかナクソスのCD全集御存じでしょうか?
9日、前夜の名古屋公演終了後東名高速で東へ移動。集中工事は早々と終了ながら連休のマイカー族で真夜中のサービスエリアは満杯。(車停める場所を確保するだけで大変) 早朝今日の公演地丹沢の山麓のホールに到着。楽器搬入後近所の超有名ラーメン屋へ。今日も開店前の行列におとなしく並んで入店。コッテリギトギト風ながら後味良いスープが中々美味。威勢の良い店員の掛け声と大将の一麺入魂の厨房パフォーマンスも極上の味付けかも?都心離れた不便な場所ながら大行列というのも納得。
今回のスラブ系の室内オケ、舞台上では調弦を絶対やってくれないのでチェンバロのピッチ合わせが実は最重要事項。(皆結構耳が良いゾ) しかし連日気温の変動が激しくおまけに今日は雨が降ったりと楽器的に条件はあまり良くない・・・。本来だと10月は調律師にとっては一番楽な季節なはずなのに今年は苦労多し!
8日、名古屋で午前中はオルガン調律。思いの外早く作業完了、これならと珍しく開店前に大行列のお店へ。ここはひつまぶしの元祖という超有名店ながら私は初参戦。ちょっと敷居の高そうな店内で一組づつ仲居さんに案内されお座敷へ。皆さんほとんど注文は名物「ひつまぶし」。鰻自身はカリッと上品な焼き加減で大変美味。しかし薬味やダシを混ぜるのは折角の鰻のうま味を薄めるのでは?値段も高額で(原価はそんなに掛かっていないのでは?)皆さん絶賛するほど感動せず・・・(前日に極上の天然鰻頂いたせいかも)
今日も大ホールでの公演に白フレンチで出動。今までは搬入時はヘルメット着用しないと舞台に上げてくれなかった曰く付きのホールだったのに最近はもうノーヘル(笑)でもOKとのこと。(ちょっと残念) 終演後久々に路上生活の一夜。
7日、10月14日チェンバロリサイタル(池袋明日館講堂)を控えた三和睦子さんがスタジオ来訪。現在パリを基点にヨーロッパで活躍する実力派の演奏是非お聴き逃しなく。ヨーロッパ録音のソロCDもまもなく発売とか。現代最高のチェンバロ製作家A・サイディ氏作のフレンチで録音、 この夏その楽器を見せて頂きましたが噂に違わぬ名工の渾身の作は迫力充分。(音色と共にお値段もとっても素晴らしいとの噂ですが) 久々の明日館でのチェンバロソロも楽しみ!(ウチのジャーマン登場予定)
明日名古屋での仕事ながら東名高速の集中工事での大渋滞を恐れて前日に名古屋入りすることに。ただ渋滞にはまるのも癪なので浜松で途中下車。まずは楽器博物館訪問。今回はちょうどウチの楽器の修復の参考にとフォルテピアノを集中して観察。修復の苦労が垣間見れて中々収穫ありました。
もう閉鎖して何年経つだろう・・・。日本のピアノ界の最高峰「大橋ピアノ」の工場跡は今だ健在でした。このご時世建物を放置するのも結構贅沢なことと思うのですが何故残っているのでしょうか?
浜松に来れば当然楽しみは「鰻」。楽器巡りの後は浜名湖近くのお店へ。天然鰻を養殖とあまり変わらないお値段で出すので評判のお店、さすが天然はプリプリで歯応え充分、濃厚な味を堪能。浜松から一般道で西に向かうも大渋滞は同じ、深夜やっと名古屋に到着。ヤレヤレ。
6日、外人アンサンブルのツァーで今日は高崎へ。搬入前に評判の隠れ家蕎麦屋を訪問。風情ある(年季の入り過ぎているかも?)お座敷で変わり蕎麦3種盛りを注文。蕎麦の味はどれも中々味わい深いものの量も値段もチトお上品・・・。(勘定場に置いてあった某新興宗教のパンフも興醒めでしたが) ノンビリ蕎麦を味わえる素敵なお店なのに少々残念。
今日は築50年という由緒ある音楽ホールに白フレンチで出動。建築当時としては珍しい木をふんだんに使った内装で音響は良いもののアンサンブルのバランスが中々取れず位置決めに一苦労。今回のチェンバロ奏者、実はヴァイオリンと掛け持ちながら、聞けば「私の御先祖様はかの有名なツェルニーだよ」との事。苗字が一緒なのでまさかとは思っていましたが本当とは・・・。ベートーヴェン流派の末裔(?)に我が楽器を弾いていただけるとは光栄の至り(笑)。
3日、神戸の古い酒蔵でお酒と共にバロック音楽を楽しむ新シリーズ「酒蔵古楽」第1回目。まずは東京からの芝崎久美子(Cem)を間にはさみ名古屋の高橋弘治(Vc)と地元兵庫の頼田麗(Vg)両者のチェロとガンバの対決(?)という勇ましいプログラムを並べたユニークな公演。
お客様にとっては先ほどまで聴くばかりだった古楽器にも終演後自ら弾いてもらうコーナーもあり、皆さんに古楽器をより身近に感じていただけたのでは。
コンサート終了後は会場にで公開レッスンを開催。この「酒蔵古楽」シリーズ、年数回のペースで開催予定。神戸酒心館のバロック企画、次回は2011年3月13日(日)北谷直樹チェンバロリサイタルを開催予定。またあの凄腕のチェンバロ演奏がお酒と共に味わえます!乞うご期待!
2日、西宮の某女子大での現代フォルテピアノ界のご開祖様Mビルソン氏のレクチャー&マスタークラス&ミニコンサートにフォルテピアノ2台で出動。実は我がシュタイン(Lデュルケン)のフォルテピアノはビルソン氏1989年の来日時に日本に持ち込んで置いていった楽器。20年振りの再会には大変喜んでいただいた様子。
今日はまずは「楽譜を読むこと」をテーマにレクチャー。その後地元だけではなく東京からも参加の若手演奏家6人の公開レッスン。ご開祖様の米人らしいフランクでウィットに富んだ判りやすい指導はさすが!
レッスンの後はフォルテピアノ2台を使ってのミニコンサート。今回の会場、「ここはヨーロッパでは?」というほど音響や雰囲気が素晴らしい広いサロン。こんな凄い会場をさり気無く解放するこの女学院はさすが!
興奮のリサイタルが終わり長丁場だったプログラムも無事終了。アンコールも2曲披露の大サービス、皆さん帰り掛ける頃弟子の方と突然2台のフォルテピアノでモーツァルト連弾曲を演奏。マエストロ、今日は心行くまでフォルテピアノ演奏を楽しまれたご様子でナニヨリ。
1日、まだまだ残暑厳しい神戸で明日からの神戸酒心館「酒蔵古楽」シリーズの準備。今日は訳あって茶室にチェンバロをセット。たまには畳に正座してのチェンバロ演奏も楽しいのでは?(まだ誰もやったこと無いでしょうね)
1751年創業(バッハ没の翌年!)という歴史的な造り酒屋の古い酒蔵で蔵自慢のお酒と共に古楽器演奏を楽しむというシリーズ。今回は東京から芝崎久美子(Cem)、名古屋から高橋弘治(Vc)、地元神戸から頼田麗(Vg)という3人の豪華な顔合わせ。3日14時コンサート開演、その他レクチャーもあります。そろそろ日本酒が美味しい季節、お酒と古楽器を両方楽しめる欲張りなイベント、是非ご参加ください。お問い合わせは神戸酒心館イベント係まで。
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